当たり前の基準が高い人との意識の違い




先日、なかなかなれないであろう職業に就く女性と話をした。その女性は教科書通りに生きてきた人で私とは全く違う生活で安定を手にしている。

その女性いわく私のように風来坊なライフスタイルに憧れるという。でも私はこの歳になり、安定を手にしている女性のことを尊敬する。

しかしその女性は、私は深く考えずに生きてきて運良くこの仕事に就けたので、という。お互いに持っていないものを褒めるという終わりのない会話になったので…。

当たり前の基準が高い人との意識の違い


私は何も考えずに運良くその仕事に就けたなんて思わない、彼女はきっと子供の頃から『して当たり前』の基準が高かったんだろうと思います。

なので、◯◯さんにとって、自然にできたことが8で、私が3なのです。なので、◯◯さんはあと2つの努力をしていないと思うからなんにも考えていないと思うだけであり、私にとっては不足が7もあり、当たり前の基準が全く違うんです。

毎日10kmランニングする人がフルマラソンを目指しているのと、毎日2kmウォーキングしている人がフルマラソンを目指すとしたら、日々当たり前に10kmランニングしている人と、ウォーキングしかしていない人にとって基礎体力も違う。

なのでウォーキングしている人にとって10km走れる人は素晴らしいと思うけど、10km走る人はフルマラソンを走れる人を尊敬する。こうやって人により当たり前の位置が違うので、◯◯さんは実は当たり前に人より努力をしてきていて今があり、決してなんにも考えていないわけではないと思うし、子供の頃から遊び呆けていた自分とは違い本当に尊敬します。

と伝えると、そうかなあ。そういわれると嬉しいなあと言われました。きっとその女性の先にはもっと素晴らしい人がいて自分は大したことがないと思っていると想定できます。この向上心や環境は自分を成長させるのに素晴らしいけども、時折自分の能力の低さを憂うことにもなり、

他人から見ると素晴らしいのに、自分ではダメな人間だと思ってしまう。私のように底辺の人間に褒められても本当は嬉しくないと思うけど、私が素直に感じること、そう、彼女の当たり前の基準の高さと実際には素晴らしいんだということを伝えることができて良かったです。

最近は本当に自分の頭の悪さや人生のムダが目に余るほど、立派な方々(業種もライフスタイルも全く違う人々)と話すことがあり、その方々がずっと続けてきた当たり前と自分の無知さ加減の違いを感じているところです。

ただ比べてネガティブになるのではなく、刺激や励みや素直に尊敬して自分も乱れずに進んでいこうと誓っています。

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