人間関係の悩み・仕事への思いや行動の違いを埋めれるか

私は歳を重ねるごとに人間関係について悩むことが増えました。それは今まで気が付かなかった自分の欠点が理由です。自分の中の価値観で生きてきた結果、様々な人がいることについて別の世界で考えて、共存し合わせることができない欠点がぼろぼろと出てきて反省や改善を繰り返しますがうまくできず落ち込んだりして、私は一人でいる方がよいと考えることは多いです。

例えば山歩き中に、鳥を見つけて名前なんだろうねと話しかけたら、うちは3世代みんな寅年なんだと返答があった時に、話聞いてないやんってガッカリするのではなく聞いた上でそう浮かんだプロセスを考えられるようになった事で心の平穏を保てる。キャッチボール抜きにして酉年→干支の話になる人の理解

と同じ物を見て同じ行動をしてても人により捉え方や発想が違う人を理解するには?と色々自分なりに学んで落とし込んだことをいきなりつぶやいてみたり

この貫と前貫何度見ても良い教えること・教わること・気づくことに変わることが詰まってます。(私が見習い時にそれまでの甘さや思考の歪み等、欠点が浮き彫りになったことも思い出すから尚更) #江戸前の旬season2 第10貫 赤貝は弟子の試練 #TVer #江戸前の旬 #須賀健太 https://tver.jp/corner/f0076611

修業中のことをや指導することを思い出して共感してみたり

子供の頃に負った傷、同じ経験をした人たちの集まりは宥め合うだけで前に進めないと思って避けて、逆にあえて言わずに普通に溶け込めず誤解を受けても仕方がないと受け止めてきましたがおばさんになった今、理解できる人がいることを知るだけで前に進める安心感や強さもあるんだろうなと。今更ですが

と人とうまく付き合えない自分のことを見て反省してみたり

意見やレベルが合うからうまくいくのではなく『なんでやろ?』に対しどこまで考えるかの深さと『やってみよ』に対する行動スピードが同じだから試行錯誤含め心地よく仕事出来るのかな、亡くなった仕事のパートナーがそうだったと改めて思う。人間関係のストレス要因や解決策にも気がついて良かった。

そんなことどうでもいい人と気になって仕方がない人、今したい人と後回しにする人はお互いが面倒でストレスになるのだと。そこに上下関係があると、押し付けや諦めに繋がり誤解も生じてしまう。 仕事が楽しくて夢中になれ、出来ないこともやってみて気がつけばできることが増えていたことに感謝。

と仕事のパートナーが自分の仕事に対する情熱や疑問問題などと向き合う深さや費やすスピードや時間に関してちょうどよいバランスで出来てきたんだなと改めて懐かしんで感謝したり。そこから今まで夢中で仕事のことを一生懸命考えたり身の回りのことや時事ネタに談話したり飽きもせずストレスもなく会話が続く人たちが浮かび、共通点は

思慮の深さの位置と行動スピードがほぼ同じだったんだなと。これは年代や性別全部バラバラで意見や生い立ちや学力レベルは全く違うのですが、心地よくスムーズに時間が流れてかつ、必ず何かの役に立つ解決策が見つかり、成長し意欲が生まれるのです。これは仕事の経験やできることのレベルが違っても成り立つことで…

うーーーーわかるかな…なんというか補い合うとか、自分だけではできないことが相乗効果でできるとか。見てる方向が同じということ。

自分が抱えている仕事の人間関係のストレスはこの思慮深さとスピード。これが全く合わない場合どっちもがストレスになり、いい仕事があって取り組んできても途中で頓挫してきたのはすべて私自身が相手の腰が上がるのが待つことが出来なかったり段取りや工程の改善が受け入れられなかったりと自分の考えるスピードと深さが全く違う人に対し、今まであう人との関係性や会話のキャッチボールが当然だと思って押し付けて比較したりと とにかくいろんな人がいるのに寄り添えずただただ自分を信じて前を歩いていたからだと。

もし、会社員で職場の人間関係に悩んでいて自分だけの自由が利かない場合、あわせる部分と無視して突き進む部分のバランスが取れるようにすることを自覚できるだけで楽になるのではないかと思います。特に職人さんは自分の世界(段取りやスピード)で仕事をしてきた人が多いし、教わったことがないから教え方を知らないとか、歩み寄ることができない人もいてそれを皆がそんなもんだと我関せずでいる慣習が残っているところに飛び込むと戸惑うかもしれません。

思慮の深さが同じというのは長く高め合うことができる人だと思います。私の場合、お客様の望むことや今より良くなる方法、勉強と改善を常に考えている価値観でいたので、それが無い人とは本当に本当に合いません…それを埋めるために嫌がられても出来るとこまでは折衝しますが無理な場合は関係性は破談です。