仕事前、40日振りに杭全神社を参拝しました。40日前は攝社天満宮拜所にて、心身ともに落ち込んでいた自分が自然に目が覚めて勉強ができるようになったことに対しての感謝と経過報告を前向きにしに行ったのですが…試験結果が不合格確定なので菅原道真公に本当に申し訳ない気持ちです…
でも実力がわかったこととか得手不得手が実感できたことや試験関係なく病気療養しながら製図に没頭できたことに感謝し、次に向けてまた仕切り直す旨を報告しました。
また元陸上選手の為末大さんの書籍
PR諦める力 勝てないのは努力が足りないからじゃない [ 為末大 ]
に惹かれて『諦める』について深堀してみたのですが、諦めるって言葉を聞くと、挫折、中途半端で投げ出す、敗北などあまりよくないイメージがあったのですが、仏教用語で諦めるというのは「物事の道理を理解し、納得して断念する」という意味で「諦める」の語源は「明らむ=明らかにする」のようで、「諦める」ことで現状を受け入れ、解決方法を見つけることができるとのこと…
腑に落ちるというか救われる…そうなのよ、一応去年も7月から毎日毎日朝活で図面描き続けて燃焼するまでやり切ったけども試験時間内に描くことが無理なことやパニックになることで、勉強は良いけど試験は無理だとわかって、今年は王受けないと決めたのにラストチャンスだと受けてみたところ結局のところどうにもならなかった、なのでインテリアコーディネーター二次試験は正直実務にも使わないわけだし、もう何百枚も描いてきたので『納得して断念する』でいいかな…もう…。
向いていない、無理なところにこだわり続けるというのは客観視したらバカげてる行為であり、時間の無駄というのはわかるけど特性上しがみついてしまう欠点が克服できないだけなんだな…と思う反面、これも全部言い訳で、できない自分をごまかしているだけのように思えてあきらめきれないのです。40歳過ぎてもサッカー選手になるんだとかミュージシャンで成功するんだとか、客観視したらセンスが無いのに強く思えば叶うと思っている感じ。
結局、二級建築士も製図試験があるので同じ思いをするのだと思いますが、何の課題が出るかわからないインテリアコーディネーター二次試験と違って二級建築士は課題が想定できるという点と、論文というパニックになるものが無い分もしかすると落ち着いて向き合えるかも…なんて都合よく考えています。
とにかく、二級建築士の学科だけは勉強して自分の為の方丈庵(小さな平屋)を立てるための知識と、将来地元での寺社仏閣の営繕ができる大工さんになれるように建築の知識、そして実際に動ける体力と筋力を引き続き身につけておきます。
話は今朝に戻り、杭全神社の境内ですが足元の秋の花は終わり見上げたら紅葉の差し色が入る違う美しさの時期に変わっていました(もうすぐ終わり) 今年この場所に来るのは最後だから今までここでの独り言を振り返ってその結果や経過報告し、自省と内省の時間を過ごしました