私は10代で家を離れて介護をきっかけに大人として母を向き合うことになりましたが、子供の頃から気になっていた方向音痴、話の腰を折る、片付け問題などもろもろ改めて目にするようになり、発達障がいなのか高次脳機能障害なのか認知症なのかわからなくなり理解できなこともあってモヤモヤしていてずっと苦しい思いを重ねていました。この記事も2年半前に書いたもの↓
これ以外にもカサンドラだとか色々精神的に思い悩んで希死念慮にまで至るようになったのですが、本人が認めないし検査も嫌がるし、私の言うことはうるさいとしか捉えてくれないので何にも改善しない日々で本当に気に病んでいました。
メンタルの不調が重なったのは職場でも同じように片付けができない、言ってることや仕様がコロコロ変わる、納期がコロコロ変わる、忘れる、段取りが悪い、指摘すると息を吐くように嘘をつくなどなど母と同じような特性を持つ仕事相手で爆発しそうな毎日でしたが、心理検査してもらうこともできないし…私が受けようか、と思うも理由なく受けれないよね…っと。
去年心臓が苦しく、循環器内科の先生に紹介された精神科に行って自分自身の抱えた苦しさに対し何を話したらいいかわからず断念した所、
今年3月にふっとASDと判明した人のお話を聞いた時に、私もその可能性があるのでは?相手が悪いのではなく自分がこだわりが強すぎるのでは?と思ったののと前から自分が検査を受けたら遺伝の視点から話を持ち掛けやすいのではないかと思っていたら、精神科の先生の問診で私自身に可能性があるから検査しますか?といわれ、娘である自分が検査を受けました。
その結果として私は不注意の部分は全くなく、先生に『母の嫌な欠点(片付けとか不注意)がどうしても嫌で自分はそうしないように強く気を付けて生きてきたから改善されているだけで、自分も同じように注意欠陥はあるのでしょうか?』と聞いたら『気を付けて治せないのが障害(特性)です、気を付けてできるようになったのなら注意欠陥の可能性は低いです』といわれました。
なるほど、、、、ということは。私が母に大げさではなく10000回以上、ごみをきちんと捨てて(床に落としたら拾って)欲しいことや片付けて欲しいこと、元の位置に戻してほしいこと、置く場所を決めて欲しいことを言い続けても毎日毎日ぐちゃぐちゃにすることに心底疲弊していましたが、気を付けて治らないのが障害(特性) というのは母はやはり認知症ではなくADHDでは?と思いながら私の検査結果を伝えました。
私はこだわりが強く、きちんとなっていないと頭がおかしくなりそうで毎回いうけど、お母さんをしつけしたいとか叱りつけているのではなく、自分が苦しいから片付けて助けて欲しいと訴えている、調べたらこのような結果だったから協力して欲しい、といっても相変わらず他人ごとで全然現実を受け止めていなく、私がただ怒っていてうるさいとしか捉えてもらえずイライラしてしまいましたがぐっとこらえました。
少し時間を空けて、本を買いに行きませんか?自分が困っていなくても周りが困ってしまうので、孫たちの為にも一度受け止めて学んでほしいのですが?というと わかった、といって本を買いに行きました。目次を見て該当することが書かれていて耳が痛い、といって読むのを避けるので、今までそうやって都合の悪いことや直視するのを避けてきた結果、子世代が苦しんでいる、というと納得?して2冊購入しました。