母との会話で困ること、それは話がかみ合わないこと。これは幼少期からで、こちら側が話したいことを話し始めるとその上辺の言葉だけをくみ取り自分の会話に変えてしまうこと。例えば友達との悩みで「今日〇〇ちゃんと遊んでいて…」と話し始めると、「ああ、今日〇〇ちゃんのお母さんを見かけたら〇〇に売ってた服着てたわ、お母さんも買おうと思ってたけど買わなくてよかった」などとこっちの話を聞かずに服の話になることや、テレビの旅番組などを見ながら「あそこの景色がきれいで、その先には、、、」とその地のことを話し始めただけなのに「行きたくない」と旅行に誘っているわけではないのに話を遮断したり、
本当に10秒ほどの会話で自分の思いついたことを口に出して話を変えてくること、最後まで話を聞く能力がない、相手が何を言いたいのかを理解しないということに対してずっとずっとストレスに感じて喧嘩の原因になっていました。悩みを相談したかった子供の頃などは特につらく、思春期からはもう相談しないほうがいいと判断していました。社会人で家を出るとさほど気にならなくなったのですが
私はもしかすると子供の頃のSOSに気付いてもらえなかったいら立ちをずっと引きずっているのかもしれません。だから異常に会話がかみ合わないことに執着して会話する方法を修正したくなっているようにも思います。もう忘れよ、できないものはできない、理解できる方が理解すればいい、などと何度も言い聞かせては抑えてきたのに、
介護が始まるとずっと一緒なのでまた同じように会話が成り立たないことの回数が増えてきて、高次脳機能障害で注意欠陥があるせいなのか、昔からということはADHDの特性が実はあるのではないかといろんなことを考えて理解しようと思いつつも先日もそれで些細な会話だったのですが何か癇に障ってしまい、はっきりと、またいつものように会話を遮って内容を勝手に変えるし!といってしまったら逆にいつもそうやって話を変えるといわれてイライラするから話したくない!と怒られました。
ああ、また自分の感情が抑えきれなかった、、、と自己嫌悪に陥り、数時間。ふっと思い出したのが認知症の人が見ている世界、に記載してあったことに会話がかみ合わなくなることの事例が最初に書いてあったことを思い出したのです。
やってしまった…反省。正直なところ、会話が成り立たないことのストレスに関してはもとからなので判断がとてもしにくいのですが、認知症の人と同じで、本人の頭の中では正しい回答をしていて捉え方や口に出す部分が違うだけ。それだけなのに仕事と同様のこと、一般常識としてを思い浮かべてしまい時折許せなくなってしまうことを深く反省して、嫌なことを言ってしまってごめんなさいと素直に謝りました。
脳梗塞で壊死した部分により高次脳機能障害の症状や後遺症も違い性格が変わる場合もあるらしいですが、20年は離れていた私には母がどんな生活スタイルから変化したか、元からなのかがわからない部分もあり、介護していない他の家族にはまだ元気な母のままだけど私は母像を求めないようにして平穏を保ってます。
※追記2年半後、娘の私が検査しました↓