今日は父方の祖父の命日、冬休み最後の日に友達と遊びに出かけていて帰宅したら玄関に『おじいちゃんが危篤だから病院に来るように』とメモがおいてあり、慌てて病院にいったところ
『きれいな娘さんになって』
と認知症で誰だかわからなくなっていた祖父が死に目にはっきりした認識で私に声をかけてくれたことを思い出します。子供心に、認知症とはいえど完全に忘れてしまうわけではないのだと専門家としての根拠もありませんが感情的にそういう学びを得た瞬間です。
祖父の認知症と祖母の介護生活
物心がついた時からもう祖父は定年でリタイア生活だったように思います。自転車で15分ほどのところに住んでいて、時折週末に泊まりに行ってました。
そのころからすでに力関係?は祖母にあり、祖母が祖父のことをよく怒っていたように思いますが、弟曰く、昔は祖父の方が祖母に態度が大きかったと記憶しているようで私の記憶が多分もう少し未来からしかないのだと思います。
祖母からの情報しかない私、祖母はすぐにおじいちゃんはボケてるからといい年老いたらボケてしまうものなのかな?祖母のきつい態度を見ていると祖父のことを何話してもわからないんだったら話す意味がないとまで考えていたこともあります。覚えている出来事はネガティブなことばかり…
- 出かけ先で自転車を忘れて歩いて帰ってきて叱られる
- 気が付けば出かけていて(徘徊)祖母に叱られながら帰ってくる
- 東京ディズニーランドで迷子になり祖母に叱られる
とにかく叱られるイメージしか無くて怖かったです。その頃は皆が知識があるわけでもなく、ただ、ボケているということで祖母は体の不具合ではない分、病院に連れて行ったりしていなかったように思います。
東京ディズニーランドに家族旅行で行ったとき、祖母がきちんと付き添いをせず、すたすた歩くので祖父が付いていけず、私の母が一緒に歩いていたそうですが私たちが乗り物に乗りたいというのでそちらの付き添いしているうちに祖父が迷子になったのです。
当時、東京ディズニーランドには迷子の呼び出し放送がなく、掲示板だけでと言われ、そんな掲示板の存在すら知らなかったら書いても意味がないと思って家族みんなでおじいちゃん探しが始まりました。当時は携帯電話がなく、これ以上誰も迷子になってはいけないので団体行動です。
東京ディズニーランドで楽しんでいるはずが、不安な気持ちでおじいちゃんを探すことに費やし、こんなに広くて人ごみの中おじいちゃんが見つかるのか?どうやって一人で新幹線で遠い自宅に帰るんだろうか?子供心にとても怖くて二度と会えなくなる恐怖を感じ、いまだに東京ディズニーランドは怖い場所という認識で二度といってません。
もしかすると前に出かけた際に迷子になった時にも駅にいたから今回も駅にいるかもしれないと祖母が言うので皆で息を切らして駅に行くと、祖父は駅にいてまっすぐ立って行きかう人を見ていました。動かずに私たちを探していたんだと思います。
その瞬間見つかって安心したのに、祖母がまた叱るのでとても胸が痛くなりました。おじいちゃんに若いときの仕返しをしているなどとも聞いたことがあり、今となると、祖母にも介護のストレスがあり、自分は元気なので気持ちに寄り添う意識や知識がなかったことや昔の男性によくある男尊女卑、亭主関白の関係性の逆転なんだろうなと思います。
しかし孫目線からだと祖母の怖い姿を見て優しくありたいものだと反面教師になったのですが、いざ自分がパートナーではなく親の介護ではあるけど優しいだけではできないなっと痛感しながらも祖母のことを客観視して叱ったり怒ったりするのではない介護生活を目指しています。