親の介護うつ

母の介護が始まると個人フェイスブック(今はアカウント削除)で知人などに報告をして田舎に泊まりに来ることや一緒に山に行くなどはできない旨を記載したら、

『介護は思っている以上に大丈夫ではないからよく考えてね』とアドバイスがありました。その方の言うように私は当時何も考えておらずただ感覚で『なんとかなる、私なら大丈夫』と思い込んでいました。

親の介護8.介護保険で在宅介護・デイサービスの利用計画 の続きです。

今回は親の介護で社会から離れる問題について

介護離職、介護転職、老々介護、8050問題、7040問題で、社会からの孤立、収入源がなくなる、やりがいや生きがいなどの喪失、などで未来に希望を見出せなくて生涯を閉じようと思う人もいるのは他人事でしたが、黒い悪魔が下りてきたのです…自分でも信じられませんでした。

介護は20年先だと思って生きてた

私の父は学生の頃に他界しているので漠然とではありますが将来母のことは自分が守ると決めていました。その反面、早く他界した父のことを考えると人生何があるかわからないから目一杯やりたいことをやって生きようと思い、最終的にはちゃんと母と過ごす。と考えていました

好きなことをして、その最終的というのは母がもう80歳を越えた頃というイメージでした。なぜなら祖母が二人とも60代70代は元気で90歳越えるまで生きていたから母もそうなんだろう、一般的にそうなんだろうという感覚だったのです。

だからこそ夢中になることを形に残して失敗をたくさん繰り返しながらも自分の今後の生き方を心豊かにするため、母を迎え入れるために仕事を築いてきた人生でしたが60代で要介護になるとは想像できず母を迎え入れる体制が間に合いませんでした。

介護をしたくないのではなく、自分がまだしっかりしていない焦りが強くありました。

在宅介護で離職と生活の変化でうつ状態に

今までの流れから急に介護うつ状態と簡単に書くと一気に文章が薄っぺらくなりますが、自分でも信じられないくらい希死念慮に襲われてコントロールできなくなりやば、これが本当のうつ状態か?と今まで何度か経験したことあるのはただの憂鬱であり、うつ状態とは別物だと実感しました。

田舎暮らしで築いた仕事と30代で介護離職の苦悩

家具職人の田舎移住13話にも記載

そもそも18歳から実家を出て一人で暮らす私と、父亡き後、子供もみな独立して一人で10年以上暮らしている母、お互いにマイペースな暮らしだったのが急に共同生活になりルールが違うことのストレスもあり、田舎暮らしからの都会生活の苦痛もあり。その中で私が寝ている間に脳梗塞が再発したらどうしようという不安、毎晩手のしびれや足のしびれのマッサージやトイレの見守りや布団のかけなおしなど寝不足が続いたのもあります。

どれだけ寒くても毎日ウォーキングに付き添いとにかく回復に向けてのサポートを続け、頭の中は常に母の容態のことと、散らかる部屋への嫌悪感に襲われました。

母の高次脳機能障害のせいかそもそもの素質か片付けや整理整頓も全くせず目の前のことだけしか見えていない子供のような状態になり片付けても片付けても少し目を離すと床とテーブルがぐちゃぐちゃになり、開けっ放し、出しっぱなし、やりっぱなし、私がご飯を食べるためにあけたスペースも用意をしている間に散らかされて、私がご飯を食べることも嫌なのかな…と(汗)

『私はお母さんのヘルパーではない!』と怒ってしまったこともありました。

入院生活で看護師さんや介護士さんに優しくサポートされたからか高次脳機能障害なのかわかりませんが、家事全般をする意思が抜け落ちているのか一切何もする気もなく食べっぱなし脱ぎっぱなし、出しっぱなしなのです。

きっとわたしは、元気な時の母をイメージしてしまっていたのでしょう。手足が不自由になってしまい出来ないのはわかるけど、できないと考える前にしようという感情が抜け落ちていることに『母じゃない』というショックがあったのだと思います。

今はもう母だけど母親とは思わずに基本的に自分が全部やっていますが認知症予防のために週末だけは料理をするようにしてもらっています。

自責の念と自殺願望と拒食

と話がだらだらしてしまいましたがとにかく介護が始まった時にはうまく母のことを理解してあげることができず思うようにいかなくて

  • 自分はダメな娘だ
  • 私がお母さんにストレスを与えているんだ
  • 私は役立たずだ
  • 私はいないほうがいいんだ

と自責の念に襲われ始め、さらに仕事の依頼があっても断らないといけない現実に『社会でも役立たずで介護もできないし価値のない人間だ』『生きているだけでお金がかかるなら死んだほうがいい』『無職の私には食べる価値もない』

と拒食気味になってしまい、ついには死ぬ方法を考えたり、毎日死にたいと無意識に口に出すようになり、夜中には過呼吸で眠れなくなり、気を抜くと泣いていたり、まさに子供の頃、母がうつだったころと同じような言動になってきて危ないと思いつつもコントロールできず、かといってだれにも相談できませんでした。もちろん母にも見せません。

私が死んだらほかの家族が母の介護することになるので子育てもあるし死んでも迷惑かけるという気持ちだけが希死念慮を思いとどまらせましたが、この時の私はほかの身内とも口をきけなくなるくらい母とデイサービスの送迎時のあいさつ以外は誰とも接しない日々でした。友達とも連絡を遮断し、来る仕事依頼も申し訳ありませんと謝罪をする日々、何のために生きてるんだろうか?ばかり考えていました。

かといって母を恨むでもなく、母がいなくなればいいとも思ったこともなく、自分がきちんと介護をできればこんなことにならないのにっと自分を追い詰めていたのです。介護で心中とか親を殺害、配偶者を殺害とニュースでみたらわからなくもないけど自分の場合は自分が死にたいけど母を置いていけないという気持ちでした。

そんな暗い日々から少しづつ回復してきた理由が次回に書く、仕事への復帰です。

親の介護10.うつ状態・ひきこもりから介護と仕事を両立できるまで に続く。


必読→ 自責の念から介護うつ状態の悩みが晴れやかになった書籍 この書籍にもっと早く出会っていたら、下記の体験記をうだうだ書くことはなかったと思うほど高次脳機能障害と発達障害の理解ができず介護うつ状態の自分にとって良い解決策がたくさん掲載されていました。

読めば読むほどこのブログに書いているような自分の負の感情で母を傷つけてしまったこと悔やんでいます。

8050問題、7040問題は他人事…の私が30代、母親は60代という6030で介護生活が始まるとは思ってもみず、準備や事前知識もないまま在宅介護が始まった体験談をリアルな感情込めて

  • 介護離職
  • 在宅介護の準備
  • 介護で同居開始
  • 30代独身からの介護生活
  • 介護うつ
  • ひきこもり
  • 介護での新たな気づき
  • 介護と仕事の両立

など自分にこんな感情があったのかっと予想だにしないネガティブなことから様々のことに向き合い、学び、前向きになれるまで3年、しかし、その1年後にはもっと激しいうつ状態へ…今後の明るい介護生活と自分のやりたいことを両立させるまで途中経過を記載します。

上記にも記載しましたが私の理解不足により高次脳機能障害という見えない障害でつらい母に寄り添うことができなかった日々…同じ境遇の方は是非読んでみてください。

「脳コワさん」支援ガイド (シリーズ ケアをひらく)

仕事や住まいも自分の思い描いた人生に向かうために書き綴ったブログはメインに記載ていますので省力しますが、お時間がある方や興味がおありの方は

をご覧ください。(長いです…)