介護うつ状態で仕事も人もお金も気力も失い希死念慮に襲われる日々

自分でも想像できず自分でも信じられないほど『うつ』というモンスターに襲われた日々、うつって一般的に気の持ちよう、甘え、わがままなど言われますし、他人からすると確かにそうかもしれません、しかし自分がうつ状態になった経験から私自身は悩んでいる人にそういうことを言わないようにしようという学びを得ました。

親の介護9.介護うつ状態で仕事も人もお金も気力も失い希死念慮に襲われる日  の続きです。

今回は介護うつから脱出するまでのこと 

人それぞれ置かれた立場や環境や性格、仕事の有無やお金の有無、親子関係によって介護生活は全く変わります。私の場合は自分で介護をすると決め、いざ現実になるとできないことが多すぎて自己嫌悪に陥りました。母親を責めてしまい後悔する日もあったし今でも片付けとかできていないことに対して憤る時はあります。ただ、私の心に光が差したのはやはり『仕事』でした…ありがたい。

在宅介護で無職・ひきこもる日々の罪悪感

介護が始まる前、私は会社の倒産とかリストラとか乗り越えてなんとか田舎で踏ん張って自分のやりたい仕事、地域に役立つ仕事の種まきを数年かけてしてきて、ようやく田舎でこれからやりたいことが形になってきた!という希望に満ち溢れているところでした。このまま順調にいけば数年後には田舎は嫌だという母も納得して暮らせる家を建てて呼ぼう(この時は介護とは無縁の状態)とも本気で考えていました。

ところが…まだまだ先だと思っていた介護生活に突入し、せっかくの依頼やお問合せに対し

  • 申し訳ございません、行けません
  • 申し訳ございません、出来ません
  • 申し訳ございません、もう少し待っていただけませんでしょうか?
  • ありがとうございます、行けたら行きます
  • ありがとうございます、落ち着いたら手掛けます。
  • 申し訳ございません、やはり出来ません
  • 申し訳ございません、やはり行けません

申し訳ございませんを繰り返す日々、仕事がない時代から積み上げて来た信頼でせっかくの依頼を断るというのは相当ストレスでした。もちろん母を優先したのは私の意思、1番辛いのは母だし、母が悪いわけでも責めるわけでもありません。とにかく自分のやりたいことを捨てる踏ん切りがつかなかったのです。

仕事を断るのもつらくいっそのことお問い合わせフォームを閉鎖するなど問い合わせ自体が来ないようにして、知人や仕事関係者とも一切連絡を絶ち、個人SNSも非公開⇒削除 とどんどん疎遠にしていきました。いわゆるひきこもりです。

パソコンでの仕事の収入が若干あったのですが気力を失い何もする気も起きず収入も減る一方だけど介護生活費や自分の家の家賃や携帯、仕事の経費がかさむのですが、もしこんな状態が続いたら本当に『独身・無職・ひきこもり・実家暮らし・親の年金頼りの生活』になってしまうと考えるとさらに落ち込み、

本来ならば何とか立ち上がろうと思わないといけないのですが、私は生きてる意味がないと死ぬことばかりを考え無職は食べる価値無し、と最低限母を介護できる体力を維持するための食事だけをしました。

介護うつを救ったのは仕事の発想の転換

そんなひきこもる中、本家ブログ日記際の記事

田舎暮らしで築いた仕事と家具職人の仕事を辞めずに人に任せてみる

に記載しているように、木工所の知人が、忙しいこともあり、できる時間帯だけでもいいから手伝ってほしいと声がかかり、最初はそんな中途半端で迷惑じゃないか?母をほったらかしにできないし…仕事している間に母に何かあったら身内にも申し訳ないし…と思いましたが母と相談してまずいっ日いってみました。

母をデイサービスに見送ってから木工所に向かい、母がデイサービスから帰るまでに帰宅をする…フルで働けないことに罪悪感や後ろ髪引かれる思いもありましたが、1日数時間でも家具製作に携わることで集中力と精神的な安定を得ることができ、

『私は本当に家具を作る仕事が好きで、作業することで色々な喧騒を忘れて没頭しホッとするんだなぁ』と改めて実感しました。そうやって『出来ないから断る』のではなく『出来ないなら任せる』『出来ることをする』ことで自分の未来への希望を捨てないよう明るい妄想をして、時折襲われる鬱々した気持ちとうまく付き合っています。

仕事することで母の自立心も回復してきた

私が仕事をすることで精神的にも前向きになり、心にゆとりが持てるようになったことや限られた時間で家事などをこなしてずっと家にいるよりも生活にメリハリがついてきました。

徐々に仕事時間を延ばし、母も自分でできることはしないといけない状況になってきたので自立心が回復してきました。今まで付き添いでウォーキングをしていましたが一人で行くようになったり買い物も一人で行きます。(片付け能力だけはダメですが 笑)

ただ、物忘れに関しては徐々に進行していることもあり、デイサービスの替えの下着などを自分で用意するようになって忘れてしまうことや、伝えたことを忘れる、ものを置いた場所を忘れるのが重なることがあり、母に申し訳ないなあと思うこともありますが在宅介護の回復、認知症の予防のコツとして自分でできることは時間をかけてでもするようにしたほうが良いとのことなのでそれはそれで自己責任でやってもらうように割り切るようにもしています。

介護ネグレクトと言われてしまうかもしれませんが最近ではお風呂、ご飯の準備やお皿洗いだけは最低限自分でしてもらうことにしただけで私も楽になりました。

今まではきっと周りの身内のことも意識して自分がちゃんと母の介護をして家もキレイにしておかないと『何をしているんだ、ちゃんと介護しなさいよ』と思われるのではないかという見えないプレッシャーもあり、完璧にしないといけない、と自分を追い込んでいたのだと思います。

でも一度壊れた心を完全に回復することは容易ではなく、今でも時折襲われる深い落ち込みや不安定な気持ちと戦うこともありますがそれは介護のせいではなく、自分の在り方であり、自分次第で未来をよい方向に持っていくことができると妄想して前を向いています。


必読→ 自責の念から介護うつ状態の悩みが晴れやかになった書籍 この書籍にもっと早く出会っていたら、下記の体験記をうだうだ書くことはなかったと思うほど高次脳機能障害と発達障害の理解ができず介護うつ状態の自分にとって良い解決策がたくさん掲載されていました。

読めば読むほどこのブログに書いているような自分の負の感情で母を傷つけてしまったこと悔やんでいます。

8050問題、7040問題は他人事…の私が30代、母親は60代という6030で介護生活が始まるとは思ってもみず、準備や事前知識もないまま在宅介護が始まった体験談をリアルな感情込めて

  • 介護離職
  • 在宅介護の準備
  • 介護で同居開始
  • 30代独身からの介護生活
  • 介護うつ
  • ひきこもり
  • 介護での新たな気づき
  • 介護と仕事の両立

など自分にこんな感情があったのかっと予想だにしないネガティブなことから様々のことに向き合い、学び、前向きになれるまで3年、しかし、その1年後にはもっと激しいうつ状態へ…今後の明るい介護生活と自分のやりたいことを両立させるまで途中経過を記載します。

上記にも記載しましたが私の理解不足により高次脳機能障害という見えない障害でつらい母に寄り添うことができなかった日々…同じ境遇の方は是非読んでみてください。

「脳コワさん」支援ガイド (シリーズ ケアをひらく)

仕事や住まいも自分の思い描いた人生に向かうために書き綴ったブログはメインに記載ていますので省力しますが、お時間がある方や興味がおありの方は

をご覧ください。(長いです…)