家具職人への道3~住宅販売営業マン時代~宅建取得

家具職人への道2・就職で東京へ行くもすぐに退職という赤っ恥なつまづきから、引きこもることなく次の仕事探しへ。

家具職人への道3~住宅販売営業マン時代~宅建取得

高卒ですぐ退職というのはとてつもないハンデではありますが、なんとか橋の設計事務所に就職してCADを勉強するも、一ヶ月もせぬ間に残業勉強中にそこの社長と二人っきりのときにセクハラに遭い…

一生懸命仕事を覚えようとしてもそういう目で見られる悲しさを知りました。相談できる人もおらず、訴えるすべも知らず泣き寝入りしたことが今になって相当悔やまれます。

それでも自立して自分で食べていくためには働かなきゃいけないので忘れることにして(忘れていたつもりが10年以上経過し病んでしまうのですが。)やはり住宅に携わる仕事がしたくて住宅販売のお仕事に就きました。

賃貸、管理、転職して売買、っと仕事内容をステップアップし、初めてモデルハウスでお客様待機をしたときのこと。

日曜になると家族連れで、仲よさそうに見にこられるのですが私はその光景が もやもや したのを覚えています。

自分が経験したことの無い、楽しそうな家族。家族揃って家を見に来るってすごい仲がいいなあ。ドラマみたいだな、なんて私では想像がつかない異次元の世界、違和感もあり…。ほっこりする面もあり。

私は、お客様にすごく大事にされ、皆さんのご家庭によくお食事に招かれました。周りの営業マンからするとすごいねーオレだったらクレーム言われそうで行きたくないわ。などと言われていました。

いやいや、クレーム言われるような売り方はしていないので…。

当時20歳前後でしかも女性の住宅販売営業マンというのは珍しくもあり、信頼されないということもあったので宅建の勉強をし、宅地建物取引主任者の資格が信頼の証、だと思って頑張って勉強しました。

学生時代もバイトに明け暮れていたので勉強など一生懸命したことがないし、不動産屋で勤めながら夜もバイトをしていたので、その深夜に勉強するしかなく、人生で一番勉強したのではないかと思います(笑)

お客様に販売する回数が重なるにつれ、住宅販売をしてみんなの幸せそうな顔を見て、団欒を眺めてどこか夢の中にいるような気分でした。擬似の家族団らんを自分が楽しんでいたように思います。

そんななかの会話で、

もっとこういう風にならないかしら?

など、住まれてから、後で気づく、色んな要望を聞き、

ここに棚があると良いんだけど、

とか色んなオプションの要望を聞いていくうちに私はそっちのほうが楽しい と思えるようになりました。

しかし会社は住宅の販売だけをしろと。

多少お客様の要望に満たなくても売り切ってしまえと言う指令を受け、もちろん、私も雇われの身ですから、まずは売らないといけなかったんです。

日当たりが思わしくないかも、、、っと思いながらもそれを言ってしまったら販売できないし、でも正直に伝えてしまう自分がいて、それでもどうにか、その家の他のいい点をアピールした結果、お客様が気に入ってくださり、契約に至っていたのですが私の心はなんだか、満たされませんでした。

特にお客様から、イヤだったとかだまされたとか言われたことは一度も無いので、円満といえば円満かもしれません。しかし、なかなか割り切ることができず、このように販売を続けて、私にはいったい何が残るんだろう。

心が満たされない…。

仕事で悩むときには母の言葉が浮かびます。

  • 手に職をつけなさい
  • 資格を持ちなさい
  • いつ何時、一人になるかわからない
  • 会社もどうなるかわからない

だから必ず自分で食べていけるようにと。

そのために、宅建の免許も取り、仕事に一生懸命でした。ありがたいことに一般事務員さんのお仕事をしている友達の2倍の給料はいただいていました。

このまま頑張って何年か経験を積んだら、不動産屋で独立しよう。っと

目標を持っていました。

しかし、業界を知れば知るほど一生やりたい仕事なのかどうかがわからなくなり、立ち止まってしまったのです。

住宅販売の仕事やめよう…

今のままで、私は何が残せるのか。立ち止まってしまった私。仕事はまじめにしてきました。独立するためにどんなことも勉強だと自ら進んでやっていました。

きちんと前もって伝えなければと、社長に辞めますといったときに社長は

『給料いくら欲しいんだ。指値しろ、いくらでもあげるから 仕事はやめるな』

と引き止めて下さいました。しかし、こうと決めたら私は変わりません。今思えば引き止めてくれるというのはとてもありがたいことですね

『お金の問題ではないので、すいません。』

と、言いましたが、もうちょっと考えろ っといわれ話が終了。友達や親戚に仕事辞めようかと思うっと話したら

『え~もったいない!給料上げてもらって、続けたら? 宅建の資格も持ってるんだし』

と。大体の人はそういうと思います。しかし、私は、お金の問題より心の問題が大きくてどうしても、辞めたかったのです。納得のいかない販売体制に疲れていたのかもしれません。

お給料をいただいているのですから、自分がやりたくないという基準で、従業員である限り、手を抜くのは良くないし、そこで自分のやりたい方向に変えていくまでの情熱がもてなかったのも事実です。社長は辞表に書いた期日の前日まで認めてくれなかったのですがなんとか退職は受理されました。

母に辞めたことを伝えたところ、反対するかなと思ったら自分のやりたいことをやったらいい、と、お許しを。ありがたいです。まあ、、、事後報告なので止めようがないですけど…

家具職人に憧れことを思い出す。

1から挑戦したくなったのがインテリアデザインでした。イタリアにも憧れNHKのイタリア語 講座で ジローラモ先生から学んでました(笑)

結構良い収入から無収入になったので、お金の節約もあり風呂なし文化住宅に引っ越しました。

インテリアコーディネーターの講座を受けてみたりしてある日、、、プレゼンボードを作ってるときに

小学校のときに感動したシーンが浮かんだのです。そう、友達の言葉。

『お父さんが手作りで、婚礼家具を作ったの』

と見せられたお部屋。

参考記事⇒ 家具職人への道1・少女時代の衝撃

 

あ、、、私も家具作ってみたい。

でも、どうやったら???

家具職人への道4~脱サラして修業へ~に続く。

編集後記

私はとことん自分の思い通りにならないことはやりたくない、(すぐ仕事やめる)やりたいことはどんどん突き詰めていく(ずっと仕事している)という社会生活不適合者です。

家具職人への道2話にも書きましたが、高校受験も行く気がないところは受けたくない!っと私立の滑り止めを頑なに受けなかったり…(工業高校一本で勝負・落ちたら高校行かないと決めていた)

一回目の就職でも家の事情とか言ってすぐに辞めるし、その後もセクハラ事件や騙されてお金を貸してしまう…などもありましたが、会社をやめるのも自分のスキルアップだと正当化して転職していたし…独立した今、思うに、私みたいな従業員迷惑だと思われます。

今までの会社でもとにかく休むことをせず仕事を覚えることで必死で、君は一人でどこでも生きていけるよっとよく言われてきて、実際に、手に職つけて自立するということを目的に仕事のスキルアップをしてきたので褒め言葉ではあるとは思いましたが

社会人生活で気持ちを押し殺してでも社内のルールを守るということが性に合わなかったから、ひとりじゃないと会社に迷惑を掛ける存在だったんだと思います…。やんわりディスられてたんでしょうね(笑)

根底には嫌だと思いながらも仕事人間の父の血がしっかり流れていて、同じように早死するならやりたくないことを続けるのではなく、やりたいことを一生懸命やろうと思う気持ちが強かったんだと思います。

明日があるさなんて言葉、大っきらい!朝目覚めるかわからない、明日には生きてるかわからない、今しかないんだよ、、、っと極端にとんがっていた時期でもありました…。