田舎移住して12年以上経過してやっと地域活動の魅力に気づき、このまま地域の役に立ちながらも自分の仕事をしていけば理想的な田舎暮らしが実現できる!っとようやく明るい気持ちになれた頃…

11. 田舎移住12年過ぎて地域活動の魅力にハマって仕事にする

続きです。

家無し、倒産、リストラ、無職、貧困からなんとか踏ん張って、自分が培ったスキルで人の困り事の解決や頼まれた事を仕事にしながらオーダー家具の受注を受ける基盤が出来てきました。

息抜きにビールを…ではなく、海辺や山を歩くことから広がったボランティアガイド活動と学習。携わる周りは良い人ばかりだし田舎暮らしの魅力を新たに知った上で、ドンドンできる仕事を築いてきました。

当時のブログにも書いていましたが古民家に越してからは姪っ子甥っ子の夏休みの長期滞在を受け入れていて、いつかは大阪で暮らす母を呼んで暮らせるといいなと自分がどう生計を立てて身内を守れるかを描いていました。

仕事はボスとまた再開するべく、自分がネットで問い合わせを受けてボスや前の仕事仲間と一緒にできるようにと計画を進めていたのですが、

なんとボスが余命宣告を受けるほど癌が進行していることがわかりました。しかし私は今まで色々切磋琢磨してきて乗り越えてきたから、ガンも克服できるだろうと思い込み

抗がん剤治療しながら副作用が楽な合間に家具の見積もり打ち合わせなど仕事をチャットワークにてこなしながら完治を信じていました。癌に対して何もできない自分は未来への歩みを止めずに日常を築いていくのみです。

ボスは余命宣告期日を半年過ぎても健在で、在宅療養と入院を繰り返していました。私はガイド活動で知った神社に行った際に祈願したり御礼したりととにかく復帰を待ちながら仕事を広げて行きました。

ボスは田舎移住をしたいと突然電話してから面接、雇用とお世話になり(第1話に記載)父親がいない私の父親がわりでもあり、切磋琢磨することで仕事のスキルを身につけさせてくれた恩人であり、ボスのことを悪くいう人を見たことがないくらい本当に素晴らしい人柄です。

未来を見据えて取り組む中、私の母が脳梗塞で倒れたと身内から連絡を受けました。前の日の夜にフッと連絡しようと思ったけど23時だったし特別な用があるわけではないからいいかと電話をしなかったのですが、もうすでにその時には発症していたようで、発見されたのが夕方でした…

時間が立ち過ぎているのに命がある事だけでも奇跡だと言われましたが先生の尽力にて後遺症が殘るも数日後に意識は回復したのです。

田舎から大阪に向かう間や手術中、祈りながら自責の念にかられました。自分の好きなことばかりして家族を後回しにしてきたことなど反省したり…


田舎暮らしで失った仕事をようやく復活し、これからの仕事依頼も増えていた中、まだ30代で母の介護が始まるのは想定外でした。

自分で起き上がれることが出来ない母の入院はリハビリ兼ねてしばらく続くのでその間に出来る限りの仕事をこなして事情を話して、数ヶ月したらまた田舎に戻ってくるつもりで母が退院する少し前に実家を介護リフォームして母との暮らしがスタートしたのです。

ボスも抗がん剤が効かなくなり新しい抗がん剤を試したりと仕事のメールをするゆとりも無い状況だったので、介護優先にして、私にとっては息が詰まる都会暮らしのストレスと慣れない介護生活と、今まで築いた仕事を泣く泣く断わらないといけないストレスが押し寄せました…

頭ではわかっていてもマイナス思考で、まさか自分がこんな感情を抱き、自分でコントロール出来なくなるなんて!と自分に失望もしました。

母がいたから色々な事を諦めずに自分は生きている、苦しい時に支えてくれたのに結局今の自分は何の役にも立たない人間で生きる資格がないとネガティブまっしぐら…元気な私はどこに行ったの?

そんな介護生活の中、ボスの息子さんから電話が…

13.田舎暮らしで築いた仕事と30代で介護離職の苦悩

に続く