家具職人を一旦辞めて販売に勤しむ日々、自分の描いたライフスタイルではないことにストレスを感じていたのであまり書きたくありませんが経緯として記載します。

7.家具職人を辞めた日々、木工所の火事と家無し、援農体験 の続きです。

2010年はどんどんネットショップは売上アップしていくも、木工所が下請けとして受けている仕事を優先的に作らねばならず、ネットショップは在庫なし・予約待ち、になりクレーム対応などにも胃を痛めたり、売れている商品を他社にコピーされて海外で安く生産し安く販売されてしまうことも…

類似品が他店と100円値段が違うだけで100台単位で売り上げが変わり、安売り合戦にハマってしまうこともありました…販売ページの写真もパクられ何もかも手抜き商社に腹立ち、その写真私が撮影して加工したものですがどこから許可を得たんですか?と敢えて電話したこともあります(笑)

この頃は競争ばかりでやさぐれてましたが、後に椎名林檎さんの『ありあまる富』という曲を聴いて励まされヤサグレからゆとりに切り替わりました。盗まれたものは下らないもので返してもらう必要もない、培った『価値=富』は消えないっと。自分の中に創造力を身に付ける強みを教えていただき感謝しています。

と、話は戻り、木工所の億単位の大口の仕事が海外に流れ、過剰雇用でもリストラ出来ない社長、また薄利多売の無理難題の通販家具のしわ寄せがどんどん押し迫ってきました。

だからこそ、利幅のあるネットを優先にしていこうと提案するも大手さんに逆えず、さらに他の取引先が倒産して未回収金も重なり無理し続けてとうとう銀行も態度が一変し倒産へ…

ただ私は悪事を働かず人を傷つけず最後までハンドルを離さなかった社長を尊敬しています。だからこそ、正義だけが勝つわけではない現実が悔しかったです。(独立後に、商圏や環境、顧客対象を変えることで無理な薄利多売や奪い合いをする必要が無いことに気づく)

木工所は倒産し、自己破産。ネット販売の会社は事務所が木工所の中にあったので立ち退きで仮眠場所もなくなり本当のホームレスに(笑) 自分の寝床が無くなるとか考えるゆとりもないくらい私も最後までボスと切磋琢磨しました。タロちゃん、コバちゃん、その他みんなの今後のことを心配しながら…

倒産を美談にするつもりはありません。迷惑がかかった取引先や、再就職に困り果てた工員もいます。

この倒産は私の心を壊してしまいました。罪悪感や自責の念で誰とも会いたくなくなり、Twitterやブログなど閉鎖して友達とも、笑い話ができるまでは一切連絡を取らなくなりました。

私がもっとネット販売をもっと強くごり押し出来ていれば…と倒産した木工所を救いきれなかったことの自責の念にかられる日々、会社が事務所を探してネット販売は継続し、援農に行けなりました。倒産のこと新聞に載っていたから援農先のお母さんも察して何も聞かず優しく見守ってくれました。

本当のホームレスになった私の寝床はボスの知人の紹介で解体予定の廃屋に住民票を移して、住める家が見つかるまでは仮住まいすることに。あまりにも寒く、水道管が凍結したりキッチンの台拭きがカチコチに凍り、天井は雨漏りで落ちてきそうな箇所も…。 それでも寝床があるだけで充分です。

援農とネット販売の経験を活かして移転先の地元の農産物などの販売代行のネットショップを制作し始めますが最初は生産者さんにネット販売を理解して頂くのに苦悩を重ねました。結果、果物やお米、加工品など販売代行をしましたが、逆に本命であるネット販売の家具を作る木工所がなくなったので海外生産に向け何度か出張を繰り返し小さな工場復活まで輸入家具で乗り切ります。

しかし、木工所にいた家族たちも社員になるため経費が嵩み、他人の私がネットショップを引き継ぎして退職することに。私が築いたお店だしボスは気にして『君ならいい会社で働いていけるはずだ、巻き込んでごめんなさい』と大阪に帰ることを勧めてきましたがそれでも大阪に帰りたくなくて古民家を見つけて年末に賃貸契約し姪っ子甥っ子の田舎になる!と未来を妄想しました。

2012年のお正月、無職になったことを隠して実家でなけなしのお年玉を渡し、すぐに田舎に戻りました。私は仕事するためだけに田舎移住したのではない、田舎で暮らして心豊かに暮らすのだ…と妄想して無名、無信用、無職で古民家暮らし さてさて… これから家具職人に戻ることはできるのだろうか?

無職の独身女の田舎暮らしは続く…

9.田舎で無職、経験を活かした仕事で失敗を繰り返しながら食い凌ぐにお進み下さい


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