家具職人への道18~木工所デビュー体験談~

家具職人への道17~衝撃の事実~の続きです。

晴れて念願の家具職人のお仕事デビューです。日当というお給料が発生するので、できない、わからないでは通用しない日々のスタート…

家具職人への道18~木工所見習いデビュー体験談~

初出勤でドキドキする私。

修業中に手入れを叩き込んだ平鉋、小鉋、台直し鉋、鑿10本、掛引、スコヤ、スケール、両刃ノコ、横引きノコ、といった基本的な木工工具を持参し、自分の作業台スペースをあてがってもらい、

ラジオ体操と朝礼をし、自己紹介を済ませて先輩に工場内を案内してもらいました。

その木工所は最新の機械が沢山導入されていてとても驚きました。

NCにランニングソー、ダブルソーなどは数値を入力したら機械がカットしてくれるし、超仕上げ鉋があると厚みを合わせて材料を通すだけで機械が鉋掛けをしてくれるし、引き出し加工の機械もあり、ようは調整するスキルと切れる刃がついていたら綺麗に早く仕事ができます。

『今まで一生懸命鉋を研いで、手ノコでまっすぐ切るスキルを身につけた日々は一体何だったんだ?』

と思うほど、機械化されている現実の仕事についていく、というかなじむのに精神的なハードルが高かったです。

その理由は挫けそうになった修業時に読んだ、法隆寺の宮大工の西岡棟梁の本で培ったこととは全く違いハイテクすぎるからです。

また木工作家さんのように手道具でゆっくり丁寧に作る…のは現段階では理想にすぎず、とにかく仕事として経験を積んで食べていけてから、手作りは未来の目標にしようと切り替えました。(あの頃から未だに切り替えきれてない自分がいますが…)

初日から図面を渡され1から自分だけで本番の仕事が与えられ、助手をしながらではなく、いきなり独自で本番ということに尻込みしました。

『わからないことがあると先輩に聞け』

と社長に言われましたが、皆がそれぞれの仕事をして決められた納期がある中、私の質問で時間を奪うのが申し訳なくて聞けずに考え込んで、失敗して落ち込んで、の繰り返しで情けなくて毎日帰り道に自転車乗りながら泣いていました。冗談ではなく本気で泣いていたので道行く人は気持ち悪かったと思います。

聞かない限りわざわざ教えに来てもらえないし聞いて先輩方の手を止めると度が過ぎたら怒られるし、自分で考えてやって間違えているのがわかっていても周りは注意してくれません。もちろん失敗しても手助けもドンマイの声かけもありません。スルーです(笑)

重たい材料を1人で持てずに、勇気を出して手伝って欲しいと言ったら、『1人で持てないなら仕事するな』と言われ、撃沈し、それ以降、絶対に傷をつけてはいけないものを除いて1人で持てるようにコツを身につけ、今でもそれはありがたき対応だったと感じています。

私は邪魔で目障りだったと思います。私がモタモタドン臭く、皆でシェアしている機械を占有してしまう時、あからさまに『はよせえやオーラ』で追い込まれて

『お先にどうぞ…』

というしかない焦りなど、とにかく毎日緊張していました。気配を消して邪魔にならないよう先輩達の仕事や道具を早朝や昼休み、終業後にこっそり見て学んだり、給料は道具に費やしました。

また、驚いたのが昼休み…

ほぼほぼの職人さんは仕出し弁当を注文していて、みんなで食堂で食べるのですが、私は毎日同じメニューの手作り弁当で、テーブルは違えど全員で昼食を食べます。

人数的には20名くらいいますが誰も会話をしないのでシーンとした中、NHKのニュース番組が良く聴こえます。事務員さんが女性なので会話を少ししようと思えば、静かなので皆にも聞こえるし、皆も耳障りだろうから極力無言で過ごしました。

このような毎日で挨拶以外は誰とも話さないのでおしゃべりで明るいはずの私は、『口が腐る』と思うほど無駄な会話がない関係でした。

食べ終わったら職人さんは各自車の中や工場の定位置で昼寝をしていますが私はすぐに作業場に行き先輩達の製作物を盗み見していました。

皆さん個人個人でやり方は違えど、素晴らしい技術で美しく完成させているのを毎日近くで体感することができたのはドン臭く、自信がない自分に刺激と喝を与え成長を無言サポートしてくれました。

自分に自信がないのとそこでの職人気質を理解出来ておらず、『あん?』『知るか!』っといいつつ根が優しい人が多くさりげなく教えてくれたり慰安旅行では会話をして楽しめました。

その当時はあまりにも悩みすぎて、でも家具職人として技術を身につけたい、でもわからない不安や繰り返す失敗から、とにかく経験を積まないといけない!っと踏ん張ってはいましたが、心の隙に間違った考え方や行動をしてしまい辞職に至ったのです。

辞める私に社長は、君は1人でも生きていけると言われましたが、未だにどう捉えたらいいか明確な答えがありません。強いという意味ではなく、協調性が無いことの皮肉かなと…。

今振り返ると厳しくも気に病んでも、最初にここで図面を見て1から仕上げまで自分でやり通すことが繰り返し体験できたのは財産であり工場環境や技術は素晴らしい会社だったと心から感謝しています。未熟な自分を思い知らされ、恥を感じます。

当時作業場にてFM802が流れていて、ヘビーローテーションだった曲や新曲などにもかなり励まされました。

ウルフルズの『笑えれば』なんて特に…

『情け無い帰り道、ハハハと笑えれば』
『子供の頃から同じ、同じ夢ばかりを見て、だけど今になって大人になって立ち止まったりして、すべてがうまくいくはず そう信じているのになぜかあせってグラついてジタバタするけど』

もう…私のことやん!って思いながら自転車乗りながら泣いていた日々、貴重な体験でした。

さて、また1から家具職人のお仕事探しだ…

家具職人への道19~木工所を辞め木工所に転職繰り返し~に続く