家具職人として平日は仕事し、週末には倉庫市だけでなくフリーマーケットにも出店する。とにかく一生懸命製作した家具工の労働やできた家具の扱いを軽視する取引先などに憤りを感じなんとか抜け道を模索しながらも

強制的に休むためにも息抜きのマラソン大会に出場したり漁火を眺めたり、田舎暮らしの魅力を感じる日々

4.田舎暮らしで反スローライフ生活・仕事の息抜きはマラソンと漁火

の続きです。

オーダー家具の取引先はゼネコンや設計事務所、工務店など地元に根付いた業者さんでしたが、メインである木工所の量産家具の取引先は

ホームセンター、商社、問屋など都心部の取引先がメインで、その他、住宅建材を扱う会社から全国展開の家具付きマンションの家具を製作しており売上の多くを占めていました。

無理がある納期でも必ず守らないとペナルティを受けるし少しでも気になる点が見つかると、全数検査にて車で7時間かけて検品に行く事もあり、現場には工員は行かず、慣れた私が出向いたりしていました。

完璧な仕事をするのは当たり前ですから検品作業は仕方ありません。しかし、いつかは施工数も減り仕事も減るだろうし単価の割には検査も厳しく、また一つの取引先依存率が高いのは危険だと

とにかく下請けだけではダメだと当時家具職人として勤めていた木工所で下請けから脱却して自分たちで作った家具を自分たちで販売する力をつけよう!っと話が出ました。

以前は商社から受注をし最低ロッドも多かったので作業効率を良くすれば利幅は上がりましたし、一括納品でしたが年々紙通販も厳しくなりロッドが少なくなる上、保管は木工所、注文があれば商社から伝票が届いて個別発送という体系になりました。

ということは、作っても売れなければ倉庫で保管しておかねばならず、いつ出荷になるかはわからないけど注文が有ればすぐに出荷をせねばならず、在庫を抱えておかねばなりません。

それは時代の流れで取引先とのお約束だから良いとしましょう(個人的には良くないけど会社が長年の取引でやってきていることなので)

海外製は粗悪品だと言われていた時代からどんどん日本の商社が駐在員を監督につけて品質も上がって来た頃、海外の安いノックダウン家具も増えてきました。

人件費や物価の違いで海外製はとても安く仕入れることができ、いつからか

『クオリティは日本製・価格は海外と同じで』

などと平気で労働力を無視した(見ないようにしていた)条件を言われることも…

挙げ句の果てに

『他にも木工所はありますから』

とボスに言うらしい…

悔しい…

悔しい…

悔しいぞ!!

『私がやります』

パソコンの電源の切り方もわからない
ネットで買い物もしたことがない

そんな私が、勢いで手を挙げたことが始まりです。

当時の木工所の取引先との関係にも不満があり

・理不尽さに負けたくなかった
・見下されて悔しかった
・嘘つきを見返したかった
・取引先依存をしたくなかった

といったなんともネガティブな感情が、苦手で嫌いなパソコンをするぞ!と奮い立たせ根拠のない成功妄想を持つパワーになったという…どちらかというと荒んだ心を自分で救うための歪んだ動機です(笑)

(のちに、周りではなく、売る力がない自分が悪いんだと気が付きました。)

ものづくりをしている人間の小さな小さなプライドが、大きな劣等感と責任感を持ち、連日連夜パソコンの操作と戦い、泣いたりイライラしたり、落ち込んだりしながらなんとか出来たお世辞でも褒められないようなショッピングサイトを作り、売上が上がらない苦しみと悩みを抱えながら切磋琢磨し…

私は本当にワードすら使えないど素人で突然ネットショップを運営することになりました。2005年冬から開始し2006年2月にオープンしました。

本来家具職人と趣味を満喫したスローライフを目指したはずが、いつの間にか家具製作に追われ、皆が作った製品の返品に命を吹き返そうと倉庫販売を始め、次は苦手な苦手なネット販売です。

自分のことだけ考えたら絶対に出来ませんでした。会社の為、人の為、それと…生産者を下に見る人たちを見返したい反骨精神が力を生みました。

結果、独立後にもネット販売のスキルは自分の為になっているので打ち込めた環境に感謝しています。

しかし、そんなこと思えるまでは職人では無い自分やパソコンが嫌で20代でハゲができたりアトピーが酷くなったりとストレスの日々でした…

正直、この時期は家具よりネットショップのことばかりで書いてても面白く無いので気がすすみませんがなるべく簡潔に続けますね

6.友達がいない田舎の家具職人にブログ友達が出来た

に続く

追記・パソコンがとても嫌いな原因の一つに18歳の時、設計事務所でCADを描く研修をしていた際に、そこの社長が2人きりの時にソファーに押し倒され襲ってきた(逃げ切れたから未遂)ことがあり、パソコンをみるトラウマがあったからです。忘れたくてパソコン操作の基本である電源の切り方も忘れ去っていました。