く家具職人の田舎暮らしのはずなのに、全く遠ざかる日々の事を書くのはあまり気がすすまないのですが後の田舎暮らしの大事な転機となるので飛ばさずに記載します。

→ 友達がいない田舎の家具職人にブログ友達が出来た

の続きです。

(気がすすまないわりに長ったらしいです)

2007年頃、ホテルや病院、マンションの家具製作など日中にこなして夜はネットショップの管理や出荷準備などとにかく休みなく働きブログ友達に当時流行り始めた言葉の『社畜』『ワーキングプアー』などとからかわれるも、自分としては皆のために頑張る事に力を発揮できていました。

2008年頃にはネットショップに比重がかなりかかり、オーダー家具の製作をする時間が取れず、ボスにいとこと設計士が現場に行くようになり、作れることを羨む日々…私がしたい仕事なのに…

でも今は母体を守らねば私もここで好きな仕事が出来ないし軌道に乗せるミッションを強く掲げ、ネット販売専属スタッフになり、木工所を退職し、ボスが社長の販売会社の社員に異動する(とはいえ木工所の事務所の小部屋)

この段階でネット販売辞めて他の木工所にて職人だけしたいという気持ちは持てませんでした。やはり原動力は『人』であり『誰と仕事をするか』を重要視していました。

私が製作に入らない分、ボスとボスの息子さんが残業して製作し帰宅した後も変わらず夜中に1人で事務所にいたところ、火災報知器が!セキュリティボードを見ると、『シャッター東』にランプが付いていて東は入り口なので

慌てて工場入り口に降りた私、真っ暗で何も見えず、セキュリティ会社から連絡がありましたが、火が見えないと一旦電話を切りました。というのも時折センサーの誤作動があったからです。

しかしながらまた火災報知器がなり工場に降りたら東西に長広い工場の真ん中あたりに火が!

(シャッター東じゃ無いやん!)

慌ててセキュリティ会社とボスに電話し、セキュリティ会社には消防車を呼んでもらい私は真っ黒の煙の中、必死で消火が活動をしていましたが黒い煙に覆われ何も見えず、外に出たらボスと息子さんが来て3人で消火活動していたら、セキュリティ会社の警備員が『危ないから消防車待ちましょう』と外に立っているので

『大事な工場を守らないといけない!あなたは関係ないから気軽にそんなことが言えるんだ!』

と強い口調で言ってしまった私。そりゃそうやんね。警備員さんからすると工場より人の命が危険なことしないために止めるやんね…と後からならわかりますが、その場ではとにかく消火しなきゃと必死でした。

もうアカン、煙で全く見えへん…入られへん

となった時にやっと消防車が来ました…ヒーロー登場で大感謝です。鎮火しても再燃することもあるからと消防士さんが警備してくれ、朝に調査をすると原因不明の出火だと。放火でも無いから出火場所近くのコンセントからの漏電かなと。

会社には電気保安の人が定期的に点検をしていて数日前に来たばかりでした。なのに…。

私が直接話したわけでは無いのでボスからの報告ですが結局原因不明のまま処理されたようで『原因不明』ほど怖いことはなく…

後に私にPTSDを残しました…未だに火事が怖くて古民家に越した際の話に飛びますが留守中の家が心配でブレーカー落として出かけるため冷蔵庫を使うのを辞めていました。

話は戻り、私がいたため通報も早く消火活動も早くでき大きな被害は免れるも消火剤の影響でマイ木工道具はサビサビに…家具職人見習い時期からコツコツ揃えた道具…。でも今は作ってないしと諦めました。

2009年になり、とにかく家具職人の仕事は辞めて…いや、保留し、今は木工所が下請け脱却するために販路開拓に明け暮れていましたが、家に帰るのもシャワーだけになり、布団で寝ると寝坊するので事務所で寝泊りをはじめました。

私は20歳過ぎた頃に不動産関係で人にお金を貸したり肩代わりして借金もあったので家賃も支払いに回そうと海の前に借りてたアパートを引き払い事務所で仮眠してコインランドリーと銭湯通いをしていました。要は家無し状態です。

特に自分の生活スタイルに違和感を持たぬまま過ごしていたとある日、同じように仕事三昧のブログ友達がはじめた野菜栽培から、収穫した野菜の種をくれたのです。いえば友達の野菜の子供、孫…

それまでは自分の生活もコントロール出来ないのに植物を育てるなんて無理、虫も怖いしと避けていましたが、ブログ友達に報告するためにもらった種を発芽させ工場の横にプランターを置いて育てたら水あげるだけで勝手に育つし目に見える成長や小さな果実を観るのが楽しい!

いつの間にか栽培の成長観察が息抜きになり、もっと知りたい、と土日の午前のみ仕事のリフレッシュにと有機野菜農家さんの援農を始めました。労働の対価は売り物にしないいびつな野菜。これがまた美味しくて最高でした。

太陽の下、草取りや収穫を手伝いながらする会話の中で、農家さんも販路の悩みは似ていると気づいたのです。こんなに丁寧に美味しく作っても海外の安い野菜や正直美味しくもない野菜と同じ扱いされることも悔しさを覚えました。

何より個人でされているのもあり労働の対価(かけた時間や肥料、水代などと卸値のバランス)が見合ってないように感じました。大規模で機械化が強いのかな…など考えたり。

その頃、Twitterをやっていたので援農の様子を投稿して直接買いたい人を紹介したりしていました。今は主流ですが当時はまだまだ農家さんの直売は無かったので商売とは考えずただ思いのままに食べて欲しい気持ちで紹介料などもいただいていません。

野菜作り楽しいなぁ、さあ自分の仕事も未来に向けて頑張ろっとオンオフの切り替えとなり週末農業が癒しとなっていました。田舎暮らし最高(笑)

倒産にていけなくなる日&寝床がなくなる日が来るとは思わず…いつかは私も家具職人として復活すると心に軸を持ち、家具のネット販売仕事の合間に援農とマラソン、という時間を過ごしていました。

8.木工所の倒産と廃屋暮らしで再スタート に続く

 

この時の農業体験が後の救いになることも知らず…この時期があって良かった〜