靭公園バラ園

大阪育ちの私、子供の頃から名前だけ聞いたことがある靭公園に本日、はじめていきました。というのも、連休でデイサービスが休みなので母のリハビリウォークと脳の刺激になる何か鑑賞できるところはないかと検索したらバラ園があることを知りました。

そういえば…去年、長居公園のアジサイ園に連れて行ったときにバラ園があったのですが広くて歩く距離も長く、根気も体力もなくなった母がどんどん機嫌が悪くなり、帰る判断をしたためにバラ園をゆっくり見れなかったことを思い出し、この公園は根気が続くほど良い広さだから大丈夫だろうと思って選びました。

靭公園に着くとまず、神社好きの私にとって目に入った気になる鳥居…おお!!樹齢300年の楠が御神体?うつぼ楠永神社というらしい、、、大阪大空襲で残った一本の楠、この界隈は江戸時代、永代浜と呼ばれる船溜まりだったようで、海産物の荷揚場と塩干魚・鰹節などの市場として賑わい栄えたことを伝える石碑が社殿の隣に浪花百景と共にありました。

楠永神社
楠永神社

御霊神社が遷座したので飾りだという人もいますが、楠をご神体としてしめ縄をし、地主神として祀られていて主祭神の楠永大神、楠玉大神とあったのでご利益を調べると、白蛇伝説にちなんで金運アップ、その他、商売繁盛、諸願成就などがあるようです。

続いて公園内には大塩平八郎の自決の地として石碑がありました。

大塩平八郎終焉の地碑
大塩平八郎終焉の地碑

大塩平八郎は、天保8年(1837年)に幕府の腐敗や不正に抗うため反乱を起こし、大坂で幕府軍に鎮圧された後、約40日間にわたって逃亡し、その後、潜伏先で発見され、火薬を使って自決しました。享年44歳でした。

この碑を観るまで大塩平八郎の乱って忘れてしまっていて改めて調べて勉強すると天保の大飢饉の際に、不正を行う役人や商人を討つための戦い、窮民を救済しようと幕府に訴えましたが、無視されたため、私塾の門弟たちと反乱を起こし父親と逃げた先で自決…

正しさをうったえたのに…ううう…ううう…涙

また数々の名言の中に

「山中の賊に克つことは易しく、心中の賊に克つことは難し」:外部の敵に勝つことは簡単だが、自分の内面の葛藤や弱さに打ち勝つことは難しいという意味

「身の死するを恐れず、ただ心の死するを恐るるなり」:身体の死を恐れるのではなく、精神的に衰えることを恐れるという意味

「英傑は大事に当たりて、もとより禍福生死を忘る」:英雄は大事な時に、禍福や生死を忘れて行動するということ

「知行合一(ちこうごういつ)」:知識と行動が一致していなければならない、という陽明学の言葉で、知ることと実行することは切り離せないものであり、知った知識を実践せずにいては、本当に理解しているとは言えない、ということ

ふむふむ、、、っとメインのバラ園鑑賞から思わぬ学びを得ました。メインのバラも掲載します。見ごろより少し早めで蕾も可愛く発色も綺麗で癒されました。

靭公園 バラ園:大阪府大阪市西区靱本町1丁目9

楠玉大神 楠永大神:大阪府大阪市西区靱本町2丁目1