手伝い先の大阪の木工所歴も田舎暮らし時から通年6年の出入りとなり、忙しい時のヘルプで不規則に木工作業していますが最近はほぼ毎日勤しんでいます。
6年の間に共に働いた人達は全員退職し(定年や自己都合含め)人手不足で求人も出していますが無反応でなかった面接希望者がなく…
私の知人を辿ったりしても手応えがありません。他社も繁忙期で忙しいので人材確保に頭を悩ませているようです。
話は変わり。今日下記のツイートをしました↓
自分しか出来ないこと、知らないこと、考えつかないことはほぼ無くて、未知の対策や知識もないのに自分だけは大丈夫だということもあまり無い。
同時に自分が当たり前としている所作や思考が周りにストレスや迷惑をかけている可能性も想像しないと。山奥で健康に一人暮らししているわけではないから私。
ちなみに、20代前半に家具職人の先人達が、小さい文字だと図面が読みにくい、工場に長くいると耳が聞こえにくくなるよと言ってて他人事でしたが、オバサンの今、
感音性(騒音性)難聴と老眼予備をヒシヒシ痛感しています。健康や体型管理はしてるけど工場の音が好きなだけで難聴対策はしてなかった…(自分はならないと思っていた 汗)
140文字を2回にわけ、2回目は家具職人の仕事としての身体の変化について記載しましたが、1回目は家具職人の仕事云々ではなく、生活する上で注意していることです。
若い時は気付かず突っ走り自分の思うことを行動に移して周りに迷惑かけていることも考えられず、自分の考えと違う人のことは受け入れなかったりしていました。
今は人それぞれ自分の正解や正義、趣味嗜好があり全員が同じ価値観ではないこと、同じものを見ても捉え方や感じ方が違うこと、などなど理解し共存力も必要だと理解しています。
また、自分が感じたり、気付いたり、考えたり悩んだりすることは大抵他の誰かも同じ思いや、上をいく思考や行動をしている人がいて自分は単なる凡人であること。自分は特別ではないし秀でてるわけでもなく…驕り高ぶりは恥です。
ただ、凡人だからこそ大衆に共感される役立つ仕事ができることにも繋がります。
自分だけが悩んでいるわけではなく、似たような事例で悩みを抱える人に自分が乗り切った方法を教えたり、不便を便利にするものを作ったりとネガティブなことは他者に必要とされる仕事として生み出せますね。
なんでも仕事に繋げようとする私…。さあ、家具職人の見習いさんを待ちながら怪我なく手伝いをしていき、自分が田舎暮らしに戻った後の仕事、ライフスタイルの準備も並行していきます。