不揃いの木を組むを40代で再読した感想

久しぶりに(不揃いの木を組む)を読書。1つ1つの部材の精密さよりそれを合わせた全体が正確であることが大切。機械で小数点以下で部材を揃えても木は生きてるからそんな細かい事やっていい建物ができるわけではない。

人の粗探しも小数点以下で行われ近視眼的だと。確かに…最後の方にある不揃いで総持ちって言葉が響きます。

宮大工の仕事として現場で体得し、ある程度道具が使え仕事ができるようになると知識が必要とあったり、小川三夫さん自身が修業中に捻くれた時期の話やその時の感情とあとになって気づくことなどは、自分にとっても経験段階事に気づきがある復習良書となっています。

また、不器用でも良い理由や、反面時間がかかること。それであるが故の自覚と在り方、器用は損、怒られないとはどういうことかなど、読んでいるうちに自分が過去不器用で怒られて落ち込んでいた思い出がかぶり、

今日読んだ通りのまま覚えてはいなかったけど、きっと20年ほど前に読んでいた過程で励まされ続けて来れたことを具体的に思い起こして来ました。学歴コンプレックスが全くないのも今から座学で勉強していることを遅いとか恥だと思っていないことも小川三夫さんの言葉が根付いているんだと感じます。

また、生きづらさを抱える特性がある子供にも育成していく上で、得意を伸ばす意味で励みになるため親や教職員や管理職の人が読むのにプラスの発見がたくさんあると思います。今は大卒でないと良い仕事に就けない、そもそも就職できないといわれるので悩ましいですよね。

ここは多分、当時自分の身にある悩みではない為か自分は元気だったからか全然記憶に残っていなかったのですが、人の上に立つ人は疲れていてはいけないとありました。疲れていると判断力が鈍るし、余裕がないから待てなくて怒ることにつながる。っと。確かに。疲れていてはいけない。大事だ…。

もちろん、働きかたとして現代に全て活かせる内容ではないですが基礎的な思考を応用するために背景に姪や甥の姿を浮かべて気持ち良く読みました。

不揃いの木を組む