人にはそれぞれ性格があり、びっくりするほど前向きでパワフルでうらやましいほど明るい人もいます。夢を追う途中は時に苦労も苦と思わずやりたいからやるという自分の意志で動いているので極端な話、貧乏であっても身だしなみに気を遣えなくてもキラキラしています。
そういう人は問題が起きても前向きにとらえて乗り切るポジティブ思考を持ち合わせているので、成功者の真似をするために夢を実現する、好きなことを仕事にする、やりたいことを貫く方法などの自己啓発にもポジティブ思考が唱えられることも多いです。
しかし、そのポジティブ思考はすべてが正解ではなく使い方、使う人によっては人生がどんどんマイナスになります。
例えば、どうにかなる、何とかなる、仕方がない、と目の前の壁に対して何とか乗り切ったポジティブさんは乗り越えるための努力や積み重ねがあってこそであり、それを上辺だけとらえて何とかなる、どうにかなる、仕方がない、だけを真似ても考えることや行動することを放棄し思考停止している状態で問題解決できていないのです。
もしそれで何とかなった場合、それは周りの人がサポートしてくれたり肩代わりしたり、迷惑を掛けたり、負担を掛けたりっと自分以外の誰かが応援してくれたり解決に向けて動いてくれているのですが、それに気が付かないのです。
何とかなる、大丈夫、と落ち込まずに前向きなのは良いです。でもそれは考えと行動が伴ってのことであり、考えることを放棄して人任せ・惰性のみ場合にはポジティブ思考というよりは、ただ何も考えてない見えていないだけですね。周りがどんどん疲弊するし本物には思慮の浅さがバレバレですし、潜在的な問題は何も解決できていないことが多く同じ過ちを繰り返してしまう。
プロのスポーツ選手はじめ有名人や成功者ほど感謝を多く口にして腰が低いというのは周りのサポートに気が付いていているし自分の今を見つめ結果を受け入れて、解決策を考えることを放棄していないからだと感じます。
もちろん人それぞれ人生なので正解は一つではありません。迷惑かけることもあるし自分が大事なのは誰しもが同じ。せめて周りの人が助けてくれていること、我慢をさせてしまっていることなどに気が付いて感謝できる気配りができればっと若いころの自分のやりたいことを貫く身勝手な自分への苦言も含め心底思います。
若いときはとにかく迷惑をかけていることにも気が付かずに自分の正義、思った道を進むんだとポジティブを押し出していたけど周りの人たちがそれを応援してくれたり、自分が放棄したことを被ってくれたり、無謀なことを一人で勝手にやってみたり、短時間睡眠で駆け回りいつか倒れるんじゃないかと心配かけていたんだと思うと赤っ恥で謝りつくしても足りません。
決して自分が正しいという主張ではなく、心底楽観主義の人もいます。その方が心労も少なく幸せだと思います。しかし、そういう性格ではない場合、悩みや問題を抱えている人が自分の判断ではなく自己啓発など他人の影響を受けてポジティブ思考を無理やり組み込んだり真似しても、見えてないこと・蓋をしていることの自覚がない限り根本的なことからは解放されず楽観主義になり切ることは難しいし逆に悪化します。
以前、自然災害で大切な人やモノを失い落ち込んでいる人達がポジティブに動いているのは元気になったからではなく、落ち込まないよう、元気になるために動くと言ってたことが印象深く残っています。その後ポジティブだから行動的、だけではなく、悲しい、ネガティブだからこそ・自信が無いからこそ行動をするということを知り、自分はこっちのタイプだったと今更ながら気が付きました。