足を引っ張るだけの批判は非生産行為で治安も景気も悪くなる

どの時代でも新しいことや人と違う事をしようとするとどうしても辞めた方がいいよと反対する人がいます。

その反対は大きく3つに分けると

  • 本当に辞めた方がいい理由がある思いやりの助言
  • 単なる嫉妬・足を引っ張る行為
  • 現状が変わることへの恐怖と抵抗・批判

で、反対する行為がすべてが悪いわけではないけども代替え案無しの批判行為は非生産的行為でなにもよいことがありません。良いことがないどころか、逆に治安も景気もメンタルも悪化する最悪な状況になります。

まあ皮肉として、良いことがあるとすれば、反対する人が自分の思い通りになって満足感を得るという感情的な利益が生み出されることだけです。しかし、現実世界では実現していたらまっとうに受け取ることができた評価も結果も利益も喜びも楽しさも得ることができず圧倒的に不幸になる人が多いのです。

批判の方がダメージ強くて受けた側は自信喪失につながるし、周囲も疑念につながるしとにかくネガティブなことに巻き込まれるといろんな力を削がれるんです。

明らかに変えたほうがいい、取り組んだ方がいい、もう決まったこと、もう始まったことなのに個人的に納得が出来なくて感情的に反対し続ける場合、根拠や代替え案、解決策があるのならいいのですが、

ただただ偏った個人的価値観の押し付け行為、感情的なスキキライ、根拠のないデマの拡散、捻じ曲げた作話、揚げ足取り、我が身を振り返らない一方的な他者責め、時間の浪費、妨害行為による機械的損失、トラブルによる治安の悪化、などなど挙げればきりがありませんが、非生産的な活動で周りの足を引っ張ってもいい未来は得られないと感じます。

いい未来を得たいわけではないっと思っているなら関わらないでいいし、他人は巻き込まず、一人で静かに時を過ごせばいいと思うし、自分が正しいと思う主張は争わず適切にしていけばいい。代替え案無しに自分がただただ気に食わないだけで邪魔したり足を引っ張る行為は、一生懸命手掛けているクリエイターや技術者、生産者の能力も想いも未来握りつぶす卑劣な行為です。

特にSNSやテレビの情報とリアルでは差が大きく、無関係で知りもしない人の声だけが悪目立ちして、歪んだ認知・誤解の拡散が健全な心と現実を蝕んで病ませます。

決めたことは応援しよう、危ないと思ったら根拠をもって説諭しよう、自分が観たことのない景色、体験したことのない出来事に踏み出す人に敬意を持とう、未来に期待しよう、関係ない人の人生に携わる(関わる)のはやめよう(執着しない)、他人に自分のトラウマを投影するのをやめよう、『良かれと思ってはたいがい迷惑』なのです。

大切な時間と労力を他人落としに消耗するのではなく、自分のスキルアップに向けて、暇にならないようにすることも解決策の一つです。


ただ、反対されている側も反対する人の意見を傾聴して取捨選択することも大事です。そういう私は家具職人を目指すときはほぼほぼの人に反対されましたが傾聴せず突き進んだので説得力がないですね