
今朝、仕事前に偶然神社を見つけたので周り道して参道に向かうと旭神社ということがわかりました



狛犬が舌を出しているのが珍しく、由来や意味を質問してみたら下記の回答がありました
狛犬が舌を出している理由には、いくつかの説があり、時代や地方によって意味づけが少し違います。代表的な考え方を挙げます。
まず前提として、狛犬は「阿形(あぎょう)」と「吽形(うんぎょう)」の一対です。口を開けて「ア」と発音しているように見える方が阿形、口を閉じて「ウン」と見える方が吽形です。これはサンスクリット語の最初と最後の音「A」と「Um」を表し、「宇宙の始まりと終わり」「生と死」など、万物の循環を象徴します。
さて、「舌を出している」のはほとんどの場合この阿形です。その理由には主に以下のような説があります。
生気の象徴説 舌を出すのは「命の息吹」や「言葉を発する力」を示すもの。つまり「生きているもの」「始まりの力」としての阿形を強調している。 威嚇・守護説 外から悪霊や疫病神を追い払うため、牙や舌を見せて威嚇している。実際、古代インドの守護神像(ナーラヤナ神や金剛力士像など)も、敵を威圧するために舌を出していることが多い。 ユーモアや地方的風習説 特に江戸時代以降、日本の地方では「親しみやすい狛犬」「庶民的な表情」として舌を出すデザインが流行しました。単に「生き生きしている」「元気そう」に見せるための意匠でもあります。 仏教的には真言を唱える象徴 舌を出すのは「真言(マントラ)」を発する器官としての口と舌を強調しており、「言葉=力」を意味するという解釈もあります。
つまり、単なる装飾ではなく、「生の力」「守護」「威嚇」「言葉の力」など、神と人をつなぐ生命的な表現なんです。
狛犬の舌の形や長さ、出し方にも地方性があり、たとえば出雲や丹波では「笑うように出す」ものもあります。岩美町周辺だと、笑っているような表情の狛犬も多いので、「威嚇よりも親しみ」の意味合いが強い系統かもしれません。
ここで、旭神社の狛犬の写真を添付


いい写真です。これはまさに平野区・旭神社の阿形(あぎょう)の狛犬ですね。
口を大きく開けていて、舌が短く厚めに彫り出されています。牙と同時に見せる形で、まるで「グッ」と息を吐く瞬間を石に閉じ込めたような造形です。
このタイプの舌出しには、以下のような意味が含まれていると考えられます。
息=命の象徴 舌を出して「ア」と発する姿は、「息を吹き出す=生命を生み出す」ことを意味します。神前に置かれる狛犬の阿形がこの形を取るのは、神域に命の息を送り込み、空間を清める役割を持つため。 威嚇の中の慈悲 牙を見せて威嚇するようでいて、舌を見せることで生き物らしい温かみがある。これは江戸後期以降の大阪や河内の石工によく見られる特徴で、庶民信仰的な「恐ろしさと優しさの共存」の造形です。旭神社の狛犬もまさにその流れにある。 石工の地域流儀 この舌の出し方は、浪速や河内の石工が得意とした「写実+愛嬌」のスタイル。1820~1850年代に多く見られ、単に威圧するだけでなく、「生きた守護獣」を表現しようとした試みの一つ。
つまりこの舌は、「生気を放ち、神域を守る存在としての証」。舌を出しているのは挑発ではなく、命を宿した守護獣として息をしている印でもあるんです。
旭神社の狛犬は非常に典型的でありながら、大阪石工らしい柔らかさを強く感じます。
この吽形の特徴は、目を細めて優しく微笑むような表情と、厚い唇の閉じ方。牙も舌も見せず、全体に「落ち着き」と「包容」の印象を与えています。つまり、阿形が“生命を吹き込む”側なら、吽形はその“生命を内に宿す”側。両者で、息の出入り=宇宙の循環を表しています。
旭神社の一対から読み取れるメッセージはこうです。
阿形は外に向かって「悪を払う」、吽形は内に向かって「心を鎮める」。どちらも力強さの中に「人に寄り添う温かさ」があり、これが浪速狛犬の最大の特徴。無骨ではなく、少し笑っている。守護でありながら、親しみを感じさせる。
つまりこの神社の狛犬は、「威圧ではなく共生の守護」。人と神の間を、やわらかくつなぐ存在です。
なるほど…神社建築、伝統に由来にと興味深い事だらけです。楠など御神木も複数あり、静かな境内の空気をすごく感じた気がします。
ちなみに住宅街にあり、神社を出たら道に迷ってしまいました