家具職人を反対していた祖母の介護ベッドから觀やすいテレビ台をDIYした思い出

昨日空襲から77年だとニュースで観ました。戦争の事になると家具職人を反対していた祖母を思い出します。

農作業中の転倒がきっかけで段々と身体が思うように動かなくなり介護ベッドで過ごすことが多くなった頃、祖母が寝ながらテレビを観やすい高さのテレビ台を作って欲しいと従兄弟に言われ

今まで家具職人の道を選んだ私を批判して反対していた祖母に喜んでもらえたことはすごく救いになりました。(ついでに玄関ステップ台もプレゼント)

田舎で働き者の祖母は戦争で不在の祖父のかわりに力仕事を全て引き受け、義父母と同居しながら帰りを待っていたようです。

戦時中のとある日。一人で畑に出ていたら戦地に向かう義弟が挨拶に来て、それが最後だった。可愛い優しい子で…

といった話を90歳越えた介護ベッドの上で何度も涙を流して話してましたが、ずっとずっと50年以上抱えた思い。時が解決する問題ではないのだと痛感します。

私の母(戦後生まれ)もおばさんもそういう話は聞いたことがないそうです。祖父も私には戦地の話をしたことがありましたが、孫に話しても我が子には話せないほど厳しい体験だったのだと思います。

話はテレビ台のDIYに戻りますが、祖母はすでに他界していますが私はテレビ台を作れたこと、その空間で話したことは今でも良い時間だったと感じています。

小さなモノでも良いから家族が喜ぶ日常品をDIYすること、贈ることは私の体験の中では良かったことだったので、出来る人にはオススメしています。今回でいう祖父母だと敬老の日や米寿祝い、誕生祝に生活のサポートができるものってたくさんあるのでぜひ挑戦してみてくださいね。

祖父母が喜ぶ便利グッズや収納をDIYするのも遠距離介護の一環