家具職人への道2~就職にすぐ挫折~

父を学生の頃に亡くした私は

人はいつ何時死ぬかわからない、

昨日まで生きていた人が突然いなくなる

その時にその人が大黒柱だった場合に一気に家族は路頭に迷う。

 

自分が家庭を持った時に

子供を守れる力、自分で食べていける力がないと

万が一、不幸なことがあると、

たちまち人生が変わってしまうことの 恐怖を感じ、

これからは 女性でも手に職を持たなければならない

と自立心旺盛でした。

母にも手に職をつけなさいとよく言われていました。

 

その時の自立心が 家を出たい という 気持ちにもなり、

ちょっと病気がちだった母を置いて、私は東京に就職。

そんな母が買ってくれた布団で寝た初めての一人暮らしの夜。

急に色んな思いがこみ上げて 泣いてしまったのです。

声を上げて泣いてしまいました…

 

母はちゃんと眠れてるのか?弟は?など

あれだけ出たいと思った実家が心配になり眠れぬ日々が続き

研修どころじゃなかった。単なるホームシックかもしれない。

しかし、ちょっとデリケートな問題を抱えていた当時は

東京で踏ん張る気持ちが折れてしまい、挫折同様 戻ってしまったのです。

 

しかも、飛び出すように荷物も置いたまま新幹線に

飛び乗ったという、なんとも非常識な行動。

その内装業者をやめることに。

根性なしの私は、恥ずかしかった。消えてしまいたかったです。

 

未成年だったために保護者として荷物を取りに行くのに

母についてきてもらうという情けない出来事。

会社に謝る母。私が悪いのに…。

そんな挫折をしても生活するため、独立するため、

手に職をつけるためとすぐに就職活動をしました。

もちろん、新社会人になり、すぐに会社をやめるような女

なかなか採用してくれないだろうと諦めていた中、

 

高校で建築科卒業という学歴が功を奏して

設計事務所に面接に行き採用してもらえたのです

若い子が夢を持っている芽を摘まない。

そういって社長は雇ってくれた。奇跡だと思ったのは今でも覚えています。

 

もちろんわからないことばかりで

猛勉強をして仕事を覚えるに連れ

残業している設計士や社長がいることをいいことに

私も残って勉強をしていました

そう、苦手なパソコンを使ってCADを使えるために 本を読んでいたのです

学校の授業でCADはやらずに赤点を食らったほどの機械音痴…。

とある日に、データーの出力が時間がかかるので

その間にご飯を食べに行くから一緒に行くかと社長に誘われ、

私は仕事の付き合いで、吸収することもあるだろうからと

ついて行き、食事をごちそうになった。深く考えもせず…

 

ある程度、時間が経過し、事務所に戻ると、

出力も終わっていた様子で 帰ろうとした所

「ここで電気が消えて、横に君が座ってくれたらラウンジだな」

と社長がいい始め、冗談だと思っていたら

「一回だけでいいからさせて」

と迫ってきたのである。

 

ありえない!

 

私はモチロン拒否。なのに社長はしつこく迫ってくる。

私は、わけあって、過労した亡き父を思い出した。

この社長も疲れてるんだろう、ここで怒ってはいけない。

そう考え、笑ってごまかして断った。アホである。

 

アホな私は相手を傷つけないようにやんわり断りました。

その帰り、また社長はトイレに行きたい

どこかトイレに入りたい などと、反省している様子もないので

私はそそくさと家路についた。

 

こ、これがセクハラというやつか?

 

母には言えない。母には心配かけたくない。

せっかく決まった就職なのに、ここでまたやめると次に仕事が無い…

どうしよう…っと、思いながら眠りについた。

 

 ⇒ 家具職人への道3に続く

 

※写真はイメージです



このブログでの私の体験談を何かの引用やブログやSNSにシェアなどじていただいた際に、どんな媒体でお役に立っているのかもしくは酷評されているのか知りたいのでコメント欄にお願いします。※コメント欄は承認制なので記載いただいてもブログ上では非公開となります。私しか閲覧することが出来ませんのでご安心ください。
また自治体や雑誌・テレビなどメディア様の何かの題材で参考にされた際にも必ずご連絡をお願いいたします。

ブログへの直接感想と相談はこちら^^(秘密厳守)


ブログランキングで応援して下さいランキングが上がります^^↓
にほんブログ村 インテリアブログ インテリア・家具製作へ
↑2個クリックしていただけると嬉しいです^^↑

 家具職人になるまでの経歴や経緯は⇒家具職人への道(全20話)

 田舎暮らしをした話は⇒田舎移住で家具職人(全16話)

このページの先頭へ