祖母の介護

田舎の祖母は80歳後半まで現役で畑に出ていましたが、畑での転倒をきっかけに要介護になり、介護ベッドからテレビが観やすいテレビ台兼収納棚を作った時の思い出であり、家具を通じて人々の暮らしを困りごとを軽減し、楽にするという仕事だと実感した話です。

家具職人の仕事を反対・恥だといわれた過去

私が住宅販売の仕事から家具職人に転身した際に、宅地建物取引主任者の資格もあってこれからなのにもったいないっと周りによく反対されました。祖母も同様です。今でこそ女性の職人は珍しくありませんが当時は男がする仕事、という決めつけがあり、祖母には

『家具作るなんて稼げないし汚い仕事だ』

といわれ、『汚い』というのは田舎の高齢者の独特な方言があり別の意味もあるのかもしれませんが、私にはまっすぐに『汚い』と言われたと捉え、落ち込むと同時に憤りも感じてしまい、祖母や親せきに会うたびに仕事の批判とかお金はいくら稼いでるんだとか休みはあるのかとか聞かれ、悪気はないのかもしれませんがことあるごとに公務員と比べられ遠回しな否定をしてくるので足が遠のく上に、ほかの親戚には『恥だから親戚というな』などなど言われ…。

なにより自分自身でもまだまだ半人前にもならず自信がない日々だったし、そちらの親戚皆さまお堅いご立派なお仕事なのでおっしゃることはごもっとも…っとその時の自分には説得力もなく情けなくて精神的にも結構堪えました(笑)その反面、見返してやる!!などといった負のパワーも秘めていました。

母の実家は私が住む移住先の方が、都会に嫁いだ母よりも近い場所に住んでいたため、母の頼まれごと(祖父のお墓参りや祖母の記念日に関する祝いを届けたり実家に帰る前後のモノの受け渡しなど) で 立ち寄る以外は控えるようになっていました。

玄関の上がり框の段差軽減に踏み台を贈る

祖母が畑仕事の帰りに転倒して腕と肩を骨折をして入院をしたことがあり、 高齢者が骨折して入院したら一気に体力が落ちて大変だと聞いていたので 退院をした際に筋力低下など、 とても心配していましたが、田舎ならではの広い土間の玄関の上がり框の段差を軽減するために踏み台を贈ったのが少しは役に立ちました。

農作業に勤しんでいた祖母と朝陽をみた思い出

時は数年経過し、畑にも出なくなった(危ないから出ないように叔母さんに止められていた)祖母は要介護生活になりデイサービスなどを利用しつつ叔母さんが在宅介護をして暮らしていました。この頃も時折顔を出しては叔母さんが祖母に対して日々していることの話を聞いたり、祖母の談話の相手をしたりと、母がする役目を近くに住む私が代わりにしていました。正直なところ、祖母や叔母ではなく、恥だといわれた人がいる家にはいきたくなかったし批判的なことをいつも悪気なく言われることもつらかったので仕方なく訪ねていたのです。

とある日、祖母に海から見た朝陽の話をしたら『生まれて一度も海からの朝陽を見たことがないからワシも見たい』といわれ、確かに祖母は田舎育ちで田舎に嫁ぎ、畑仕事を懸命にしていたし運転免許もないので畑から山に登る朝陽しか見たことないんだと想像できました。

そこで助手席に乗せて朝陽を見に行くと冬の海にサーファーさんがいて祖母はびっくりして何度も何度も危ない危ないと言いながらサーフィンをみていたら半島から朝陽が昇りはじめ、約90年生きて初めての海に映る朝陽をしみじみと眺める時を一緒に過ごしました。

介護ベッドで寝たまま観やすいテレビ台をDIYして贈る

祖母は体調を崩したりと何度か入退院を繰り返し在宅介護生活が本格的になり、久しぶりに訪ねたら介護ベッドが設置されていました。近所に住むいとこのお兄さんに

『あ、そうだ、家具作れるんだよね?おばあちゃんがベッドからテレビが観にくいというからちょうどいい高さのテレビ台を作ってあげてくれない?』

と言われ、それは普通にできることなので深く考えずに余った材料で今よりも高めのテレビ台兼収納棚を作って持っていきました。すると…数日後にまた訪ねた際に

『テレビ台作ってくれてありがとう、観やすくなって楽になったよ。いい仕事してるね』

と祖母がとても喜んでくれてお礼を言ってくれました。深く考えずにできることをしただけですが、あれだけ反対されていた祖母にお礼を言われたことで認めてもらえた気がしてとてもうれしくなり、今まで否定され続けて自信喪失をするこの場所に来ることのモヤモヤが一気に吹き飛び、喜んでくれてよかった!と心の底から思い、見返してやる!という反骨精神もなくなりました。

それからは祖母を訪ねてベッドから祖母が祖父と結婚した時の話、祖父が戦争に行って数年帰ってこなくて姑と暮らしていたころの話、戦死した弟が戦地に行く前に畑に会いに来た時の話、数年後に祖父が帰ってきたときの話や母が生まれた時の話など母も知らない祖母の思い出を聞く時間を過ごすことができました。

自分の仕事は困りごとを解決する裏方だ

家具職人の仕事を反対され、見下されたことを根に持ち(笑)いつか見返してやるっと憤りを感じていた気持ちがすっと消えたのは、DIYで作った介護ベッドから観やすいテレビ台。

私の仕事は表向きは家具を作ることですが、人々の困りごとを解決したり、良い時間を過ごす空間を作ったり、と人の生活や仕事をさりげなくサポートする裏方だと思います。

福祉住環境コーディネーターの勉強をしたのは母が介護生活になったことがきっかけですが、実はその前からこの仕事の役割や魅力を体験していたのですね。