私もいつの間にか中年になり、体力や気力が家具職人を目指したときと比べると落ちていることを実感します。家具職人になりたいと23歳のころと同じ行動を今かを始めれるかというとやはり腰が重くなっているのではないかと思うので行動が早かったことは良かったなと感じています。
若いときには年配の方が話していることに対して想像できなかったこともありますが歳を重ねるとこういうことかあっと思うことも増えてきました。今日は美容?についてのお話です。
先人の忠告と体験談と自覚について
姉からの老化忠告?
姉が私の今の歳の時に急に白髪が出て来たと話してて、そのころの自分には兆候もなく大丈夫だろうと思っていたら、昨日髪の毛を切る際に鏡を見たら一本発見し、先輩の忠告は聞くもんだと実感。と同時に更なる人生の先輩には白髪ですら貴重な一本になるから抜かない方がいいと言われたことも思い出しつつ、頭頂部に短く飛び出していたので抜いてしまったこと、後悔する日が来るのかも…。
私は自分でヘアカットしていて後頭部や頭頂部の変化にあまり気が付かず、若い時に心身酷使が理由らしく?部分脱毛することもあり、生えてきて復活したり時折発症する頭アトピーの影響でまた抜けたりと抗わず自然任せで気にして無いのですが…もしかすると一本だけでなくもっと白髪があったり部分脱毛があるかもしれません。かといって白髪の一本でも抜いたことを後悔する日が来るのかは全く想像できません。
肌も同様、25歳くらいからノーメイクにノースキンケアも後悔する事が今は想像できないのですが…。
醜形恐怖症気味の私
それは自分の素顔に自信があるとかではなく、仕事上化粧しても落ちるし時間もったいないからと無頓着で登山やサーフィン、マラソン時も何もしてこなかったから老化で肌がシミシワだらけになっても仕方がないと言う自覚があるから、若い時からケアをしておけば良かったという後悔では無いかなと。
私は過去のブログ記事にも書きましたが、下駄箱の扉に鏡を貼る作業をするときに自分の顔を観ないようにしています。なんだか気持ち悪くて自分の顔が本当に嫌なのでスキンケアをして鏡を見るという行為も気が進まないので余計に放置状態です。仕事だけでなく、知人と会うときも法事がある時もノーメイクですし身だしなみ力に欠けていますね。人が不快になるようなだらしない見た目にはならないようには気を配ります。
気力と体力は加齢に伴い本当に重要な問題
となぜ美容?な感じですが、先人の体験談や忠告ってあとからあとから響いてきます。冒頭で書いた気力と体力というのは本当に重要な問題で、若いときからの癖付けやルーティーンがあるため同世代の同姓と比べるとこの仕事に向いている体力や体型が備わっていますが、あと10年後も同じことができるかというとわかりません。昔はバリバリしてたけど…という年配の人の話を無視するかのように誰しもに対し自分と同じ仕事量を求めていた20代、やる気がないオッサンばっかりで気分が萎える!この人たちに合わせたらレベルアップできない!と思ったこともあります(反省)
そこで自分は変わるのか、わかっていても現状維持か緩やかに後退していくかは自分次第。そしてその答えや決意やこだわりは自分の意志で決めていることを自覚すること。自覚って大事。自覚することで人を恨んだり羨んだりが減少し、楽になれます。
今思うのは、体験したことがない未来に対して、通過した人の話は賛否両論どれも心に留めておく、悪い手本があればそうなった原因を分析して自分に活かそうと、、、っと似たような記事を繰り返しているので過去記事をリンクしておきます。
この際とことん肌を放置して仕事やボランティア活動、畑作業に専念してふっと60歳くらいになってから今まで浴びに浴びた紫外線で傷んだ肌をエステに行って磨いたら心身元気になるかも試してみたいです。とはいえ結局、その費用や時間は登山や畑の資材に使っている気がしますが(笑)ただ、要介護状態になった時のために介助者の方が不快にならないよう清潔であるよう全身脱毛はいつかしたいです。(でも介護士さんからするとあまり気にならないけど、芸とか便秘をしないように調の管理と太っているとしんどいので体重管理をしてほしいとのことです。)
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