
私の母方の先祖の初代はどうやら天保時代生まれの石工職人だったと伝聞があります。
伝聞を事実確認するためにまず、祖父が作った家系図を元に、まず、先祖が新しく戸籍を作っていることがわかりました。それをもとにchatGTPに聞いてみました
明治時代に「新しい戸籍を作った人」というのは、明治4年(1871)の戸籍法(壬申戸籍)以降に始まる「近代戸籍制度」で新たに一戸を構えた人々のことを指すと考えられます。
1. 歴史的背景
- 明治政府の中央集権化政策
明治政府は全国民を把握し、徴兵・納税・学制を徹底させるため、戸籍を全国に整備しました。 - それ以前は、江戸時代の宗門人別改帳(寺請制度の名簿)が基盤でしたが、明治政府はこれを廃止し、新しい形式の「戸籍」を導入しました。
2. 新しい戸籍を作った人々の状況
- 分家・新世帯主
江戸時代からの家を継ぐ「本家」以外の者が、明治の制度の下で「一家」を立てて新しい戸籍を編成。
→ 次男・三男が独立した場合や、結婚して新しい家を興す場合など。 - 士族・町人・農民など身分解体後の再編
江戸時代の身分制(武士・百姓・町人など)は廃止され、戸籍上は「平民」とされました。
→ そのため、武士出身者も農民も、同じ「平民」として新戸籍を作ることになりました。 - 被差別身分の人々(旧えた・ひにんなど)
明治4年の「解放令」により法的には平民とされたものの、壬申戸籍では別に扱われた記録が残され、差別の源泉となりました。
3. 文化・生活への影響
- 「家」制度の確立
戸主(こしゅ)が絶対的権限を持ち、家族を統率する「家制度」が強化されました。 - 姓(苗字)の全国的普及
1875年に「平民苗字必称義務令」が出され、すべての国民が名字を名乗り、戸籍に登録。 - 結婚・相続の形の固定化
婚姻や養子縁組も戸籍に登録されることで、法律的な「家族のかたち」が明治期に制度化。
まとめ
明治時代に新しい戸籍を作った人の多くは、
- 江戸以来の本家以外で独立した者
- 士農工商など旧身分制から解き放たれた人々
- 「家制度」と苗字を新たに背負わされた人々
でした。
この動きは、個人ではなく**「家」を単位とする社会構造**を生み、のちの日本文化(戸主権、家制度、相続の形など)に大きな影響を残しました。
🔨 石工職人と明治の新戸籍
- 江戸から明治へ ― 身分の解体
- 江戸時代の石工(いしく)は、農村の副業や「職人身分」として存在しました。
- 城下町や寺社では「専門職」として活動し、墓石・石垣・鳥居・石橋などを作っていました。
- 明治になると「士農工商」の区分は廃止され、石工も「平民」として戸籍に編入されました。
- 新戸籍を作るケース
- 石工は、分家して独立したときに新戸籍を作ります。
例:長男が本家を継ぎ、次男が石工として別の町や村で仕事を始め、そこで「新しい家」として戸籍を立てる。 - また、明治の近代化で 道路・港湾・鉄道・石橋工事 が増え、出稼ぎや移住で独立した職人が新戸籍を作ることも多かったです。
- 石工は、分家して独立したときに新戸籍を作ります。
- 苗字と石工職人
- 明治8年(1875年)に「苗字必称令」で全国民が名字を持つことになりました。
- 石工の家では、仕事や石に関係した苗字を名乗る例が多くあります。
(例:石田、石川、石村、石野、石原、磯部、岩崎 など) - また、出身地の地名や屋号から苗字を選んだ石工職人も少なくありません。
- 文化的背景
- 石工は「墓石」「鳥居」「石仏」を扱うことが多かったため、宗教的な役割を担うこともありました。
- 村落では、親方―弟子関係で徒弟制度が残り、技能を「家業」として戸籍にも刻まれていきました。
- 明治の近代化で需要が拡大し、「土木建設職人」として社会的な地位も上がっていきます。
✅ まとめると、
明治に新しい戸籍を作った石工職人は、
- 分家独立した二男・三男が多い
- 苗字は「石・岩」に関する字や地名を使ったケースが目立つ
- 明治の土木工事ブームで新天地に移動し、そこで新戸籍を編成することもあった
という背景があります。
とのこと…
その後、実際の名前とか地域を聞いて調べていくと、いろんなことがわかりました。ただまだ伝聞の域なので近々もっと調べてみようと思いますし、石碑など何か手掛けた仕事が残っていないか調べようと思います。ただ、親戚とかいろんなことがあるのでネットに公開することを控え、その後の詳細は自分だけの記録ととどめておきます。
もしあなたも先祖のことなど詳しく知らなくて調べてみたい場合、名前の由来とか地名とかそういうことから遡ってみるとヒントが見えてくるかもしれません。