私は常に自分に自信がない、万が一、褒められることがあってもそれを疑い避けてしまい素直に喜べばかわいいものの、うれしい気持ちにもなれず逆切れしてしまうほど自己肯定感が低いのです。逆に怒られたりダメだしされる声の方が真実なんだろうなと受け止めるほど否定されがちな人生だと思います。
家具職人になりたい頃は自信がないのに過信があった
私は子供の頃から常に自信がない、何をしてても見えない不安に襲われた時にその不安をかき消すためにマイナスな行動に出ることもあり周りに迷惑をかけてきたことも正直沢山あると思います。
自信がないからこそ過剰にやりすぎる
勉強で1位になっても自信が持てずダメ人間だと不安、スポーツに打ち込んでも人よりも練習しないと追いつけないと気が済まないしそれでもずっと満足いくことがなかったし、学生時に飲食店でバイトをしてても人よりもっと早く気が付いて先を見て動かないとさぼっていると思われるのではないかと周りよりも過剰に働いていくうちに、私がやるからと手抜きする人も増えてきました。そうしている間になんで周りは動かないんだろう?それで給料もらって平気なのかな?と考えるようにもなりました。
過剰な行動が自信にはならず、ただただ過信に
今思えば練習もバイトもその当時の周りの人よりはすごく時間を費やしていたはずですがそれが当たり前の自分にとって周りに対して、頑張らなくても気にせず自信をもって生きていけるのがうらやましいとさえ思ったこともあります。もちろん周りが自信があるかは私の思い込みや決めつけですが、とにかく自信がない未来に不安がある自分にとって社会人になっても仕事に過剰に取り組むことで世の中の平均に追いつける、安心感が得られると過信をし、空気を読まずに突っ走っていたように思います。
(この頃は自分も過信という間違いの自信・嘘の強さに気が付かずに振りかざしていたと思うと本当に恥ずかしい。)
家具職人に向いてない自覚も妄想と過信で負の連鎖
家具職人になりたいと思った時も自分には自信がないけどやり続けていたら必ず道は開けると根拠のない成功妄想という過信をし向いていないといわれているのにしつこく続けていたり、怒られて泣いても引き際が悪くあきらめきれなかったり、不器用だという自覚が出てきたのにそれを認めず克服するために周りが見えずに過剰に突き進んだり、時折燃焼して相当落ち込んだりととにかく穏やかな心電図で物事に取り組んで暮らしたことがあまりありません。
その為常に精神的にも実生活も不安定で楽しいと思えない時期も当然あり、それでもこの自分で正しいと言い聞かせていつかは好きなことができる暮らしができると信じてやまなかったし、その間に失うものはたくさんありましたがもともと自信もないので失うことに慣れてしまった自分もいますし負の連鎖まっしぐらでも根拠のない過信が自分の支えでした。(それは客観視するといい意味ではありません。)
今は過信とわかりますが、恥ずかしながら若いころはきっとそれも自分にとっては自信だったのでしょう。怒られたり批判されたりすることもすごく多かったのに止めることができなかったのはきっと自分の中で過信という自信があって言うことを聞けなかったのと、今に見とれよコンチクショウ精神で歪んでいたのもおばさんになった今、素直に認めます。
過信で失敗するにつれようやく自分が見えた
自分が思うように行動して自信のなさをカバーするために過剰に何でも取り組んで、人に喜んでもらえたかと思えば傷つき、失い、もう駄目だと思ったら誰かに助けてもらえたり、それでも自信がなくて逃げたり避けたり隠れたり、迷惑かけても待ってもらったり信じてもらったり応援してもらったり期待してもらったり、本当にいろんなことがあり失敗しては乗り切ってきたのは人のおかげさまであり、それは今までの自分の態度が周りの環境や未来に直結していることも気づき、自分に要因があるのだと。
30代後半で介護が始まりすべてをリセットして仕事を離れたことで考える時間が増え、ようやくなんというか若いころの過信というめんどくさい自分や暴走と妄想、自己肯定感が低すぎて自信がない理由を見つめたり落とし込んでいって客観視できるようになりました。
暴走は止めれても妄想は止められないのですが(笑)
自信と過信は紙一重・自信を信頼にできるか?
自分は過信の塊だと自覚していますがその過信が自信のなさからの精神的な落ち込みをかき消す力もあり乗り越える力も出してくれることもあり、芯の自信がいまだ持てないけど過信妄想の脳内トリップで健全さを保てていることもあります。
自信があると強くなれるのだろうなと思いますがまだまだ過信というウソの強がりでいつかの精神的な自由と自信を妄想しています。自信がないからずっと勉強し続けているのでしょうね。それが信頼につながるといいのですが人によっては自己満足で終わるので要注意。
ちなみに家具職人として20年経過しました。人生における自信は全くありませんしまだまだ向上する必要がありますが、仕事として受けたことは責任をもって取り組んでいます。
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