仕事やお金が無い悩みで希死念慮に襲われた体験談

コロナウイルスの影響により仕事が激減したり無職になったり、未来が見えない方もいらっしゃると思います。

今回のコロナウイルスは災害でありますが、予定していた仕事がなくなったり、夢の自分の店のオープンが出来なくなったり、人それぞれの仕事がうまくいかない事態に陥ってしまった声も目に入ります。

仕事もお金も無くなると酷い場合には自分は生きてる価値がない、生きてるだけで赤字で迷惑だからいっそのこと…とまで陥り、そこまで行くと周りの励ましは耳に入らず引き籠もってしまいます。

自分でもコントロールできないほど思考がマイナスになり人と距離を置いて風呂も入れなくなり…

って実は私が過去、コロナとは全く違うことですが仕事が出来なくなり、喪失感や自己嫌悪、無価値感が募り希死念慮に襲われた時の状況です。まさか自分がネガティブな沼にハマると思っておらずさらに自己嫌悪に。

生きたくても生きれない人もいるのに不謹慎という正論もわかるけど操縦不可。死ぬ期日を決めたら楽になり、その日まで懸命に生きたら何かと仕事に救われ延命を繰り返しています。これは良い意味です。

希死念慮の最中、ブログにも吐き出したりしてましたが、ブログ全1500記事ほどが2019年に消えてしまったのである意味弱さの吐き出しも消滅したから助かっています(笑)

声に出さない人の方が深刻な状況でしかももう心が閉じている場合には声が真っ直ぐに届きません。歪んだ解釈になります。

幸い私は描いた未来への執着心が強く相談無しで乗り越えましたが、もし大切な人が人格が変わったら否定では無く背景を気にかけてみてください。

また、良いことも悪いことも自分の行動から起きる未来を想像出来る精神的な落ち着きを保ちたいです。想像することで自制心を持てるし、希望や楽しみも持てます。人それぞれの常識や価値観があるので自分の想像が正しいかはわかりません。

仕事ではいつも使う人の姿を勝手に妄想して、お客様の要望や思いが形になっているか緊張しながら製作しています。

コロナウイルスの終息もまだの中、自粛解除されて助かる人もたくさんいますが、自分のお店や仕事場が原因で再度感染しないかと不安を抱えて仕事再開する人もいます。

大抵がそうでありますが、中にはマナーやルールの捉え違いで、自分なりの正論で人に不快感を与えてしまったり、迷惑をかけていることに気がつかないケースもありますね。

自分自身、解除は解放とは違うと認識して気をつけて、気を配り、未来を想像して謹んで収束・終息に向けた暮らしを変わらずして行きます。

ってコロナウイルスの影響が出る前からほぼ家か木工所しかいない為、何かを常に我慢しているわけでは無いのですが、あるとすれば堺ハーベストの丘にオープンしたシルバニアの家は母と姪っ子と見に行きたく、どんな風に家具を再現しているかなどに興味があります。

万が一を考えると周りに迷惑かけてしまう為、まだまだ行く気持ちにはなれませんが、何か目的があるからこそ生きることが出来るし、楽しみにすることで力も湧いてきます。