杭全神社楠

この家具職人ブログをあまり更新していませんが、日々木工所の手伝い、インテリアコーディネーター二次試験の独学は地味にコツコツ続けています。今日は朝から模擬試験もどきを3問しました。

IC2023年の試験に向けて模擬試験風に予想問題3つを解きました。

ここからはネガティブな記録です。

どうしてこんなに思い悩み希死念慮と付き合うことになったのだろうっと考えると憂鬱になりますが、落ち込まないように単純な木工作業に没頭することと朝活で図面を描くことでなんとか生き延びています。

精神科も結局のところ、診察前の問診で何に困ってどうして欲しいか1番を決めてと言われそんな順番も決めれず、何をどうしていいかわからないからここにいるのに答えを自分で出さないといけないことに悩んで焦るし、先生に気を遣いすぎて受診することに失敗してしまったし

マイナスなことを言ったり書くとドン引きされますが正直に書き残しておくと心の中では人生を終えたいことばかりが浮かんで本当にどうしてしまったのかと自分でもわからないけどどうやってもこの思考に戻ってしまうのです。木工をして、試験勉強をしても一時しのぎで気を抜くと消えたくなります。実行に移すことはないけどこれがずっと続くようになりました。

若かりし頃に無知が故、他人を思いやる心が無いからゆえの何にでも希望や自信があったことで生きてこれたのだと思うと恥ずかしすぎて申し訳なさ過ぎて消えたい気持ちにもなりますが、当時生きてこれたことは様々なことに無知で良かったとも思いますね。どの時代も振り返ると目の前のことに全力でした。

不器用だからこそ様々なことに時間がかかり没頭して他のことができず気も配れない欠陥人間でしたし、一生懸命やる割には間違えていて成果につながらなかったこともたくさんたくさんありますが、どれをするにも真剣に習得しながら今に至ります。だからきっと、一生懸命生きようとしてきたことには後悔がないのかな。

今は紙一重、綱渡りですが、必ず笑い話になるという希望を忘れずにその時の為に下準備を続けていこうと思います。まずはインテリアコーディネーター二次試験の独学に没頭し、年末からは二級建築士の勉強再開。こういったこともさっき書いたように、一時しのぎなのですぐ落ちたメンタルに左右されますが

話し相手も相談相手もいない中(連絡も返さないままでいる人もいてごめんなさい)でも神社で独り言を言って現状報告をしていることで気持ちを整えています。サムネイルの写真は11月4日に仕事前に撮影した神社の巨楠です。

なぜこうなったのか?人が避けたくなるような聞きたくないようなことを平気で口に出せる(ブログに書く)ようになったのか?私が最も嫌だと思っていた行為でもあるのです。こんなこと書く人って甘えとか自己中だと思っていましたのでなぜ嫌なことを自分がしているのだろう…

人は死ぬとき残される周りのことや人の迷惑は考えてられないと言いますが、今の私も人にどう思われようがしんどいものはしんどい、ただただ家族のことに対する責任を投げ出したくない、迷惑をかけるわけにいかない、だから、そうなるまでの過程、限界に達するまで周りのことを考えたからこそ希死念慮に負けずに生き延びれたけどそれもできないほどに陥った、という説はとてもわかる気もする。

これは単なる記録なので今すぐに生涯を閉じるってことではないし、笑い話にできるまでの吐き出しでもあるので気にしないでください。書いていると整理ができるのです。